• 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう29年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    その後の私

    地震発生時の事を一度両親に聞いた事があります。今となっては、もっと聞いておきたかったなと思うのですが、そうもいかんようになってしまいました。

    で、地震発生時なのですが、父親は既に起きていて、1階の四畳半の居間の炬燵で本を読んでいたそうです。そこに地震発生、食器棚とか本棚とか倒れてきたようなのですが、丁度父親の座っているところがエアポケットのような感じで何も倒れてこず、気が付くと倒てきたモノに囲まれて座っていたそうです。確かに会った時は怪我もなくピンピンしてたしなぁ…そんな事もあるんかと思いました。で、母親なんですが、2階で寝てたそうです。

    そこに地震、箪笥上部が倒れてきたそうです。ただ、母親が言うには「貧乏で良かったわぁ、箪笥の中空やったから軽くて何とかできた、服入っていたら危なかったわぁ。」まぁ、助かったから良かったのですが、貧乏が原因で助かったって…ちょっと複雑な心境になりました。地震が収まった後、1階の父親からの声が聞こえたそうで。「何でもええから履けるだけの靴下履いて降りてこい!」だったそうです。確かにあの室内で裸足は危険だったと思いますが、良く父親そんな事言ったなと感心しました。どうにか脱出して、近所の人と生き埋めになった人助けたって言ってました。確かに、実家の近隣では亡くなった方いなかった気がします。その後、近所の人と一緒に住吉幼稚園に避難したそうです。

    住吉幼稚園は指定の避難所では無かったのかもしれませんが、近所ではそう言う運用になっていたのでしょうか?

    明るくなり、皆一度家に戻ったそうです。そして幼稚園に戻って来た時には、皆片手に炊飯器持ってたそうです。生き残ったからの食糧だったと思います。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    まずは生き残る事

    地震後に実家に入ったのですが、靴を脱いで入れる状況ではありませんでした。

    両親、良く足怪我せず脱出できたと思います。

    割れた食器なんかあると危険です。

    体で最も守らなければならないのは、頭部だと思うのですが、頭部の次は脚だと思います。

    避難したくても動けなくなってしまいますから。

    先ずは、生き残る事を考える、行動することが大事だと思います。

    つづく…。

    現在、私の枕元にある、防災用スリッパです。

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日の話②

    阪神淡路大震災とは 

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。 

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。 

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。 

    あれから、もう29年も経過したんですね。 

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    その後の私 

    地震、長く感じた地震が収まりました。ベッドの中で、「今の何?これが地震?」まだ何か起こったのかよく理解できぬまま、とりあえずテレビつけてみました。ここで初めて近畿地区で何か大きな地震が発生したらしい事が理解できました。ただ、大きな地震など経験した事が無かったので、どのような被害が発生しているのかなんて、全く想像できませんでした。また、早朝に発生したため、報道機関も情報入手が困難だったのでしょうか、詳しい被害状況についてはまだ報道されていませんでした。 

    ここで覚えているのは、各地の震度が報道され始めたのですが、何故か神戸だけ震度が出ていませんでした。「あれ?なんで神戸だけ震度出ないんやろ?」不思議に思いながらテレビを見ていたら神戸の震度がでました。神戸震度6…「はぁ?震度6?やばい!!」私の実家は、神戸市東灘区の住吉ってところにありました。実家と言っても、築40年以上の木造の5軒長屋です。当時は両親だけが住んでいました。木造のボロ長屋、両親無事なんか?あれが地震に耐えられるんか?。私の心に暗雲が垂れ込め始めました。 

    電話 

    私は急いで、寮に1台だけある公衆電話に向かいました。当時はまだ携帯電話は、さほど普及しておらず、私も、両親ももっていませんでした。 

    実家に電話をかけてみました。 

    「トゥルルルルー、トゥルルルルー。」まだ回線がパンクする前だったのか、この時数回電話しましたが、電話は繋がりました。けど、誰も電話にはでませんでした。 

    「電話が鳴るっちゅーことは、電話は無事、でも何で誰もでーへんねん?」私の頭の中パニックになってきましたが、このあと回線がパンクしたのか電話は繋がらなくなりました。 

    両親は無事なんか?実家はいったいどないなっているのか?私の心の暗雲が更に広がっていきました。 

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    公衆電話 

    当時は、携帯電話が今の様に普及しておらず、固定電話、公衆電話が主流でした。 

    で、この公衆電話なんですが、これは「災害時優先電話」なんです。 

    輻輳(ふくそう)が発生しても繋がり易いんです。私の実家への電話が当初繋がったのも 

    回線が地震で切れなかったってのもありますが、公衆電話から掛けたことも電話が繋がった要因だったのかもしれません。 

    ※輻輳(ふくそう)交換機の一定時間内に処理できる能力を越える電話が集中することにより発生するいわゆる「電気通信網の渋滞」のこと。 

    公衆電話について少し注意しておきたいのが、 

    ・公衆電話は、停電しても使用できますが、その場合テレホンカードは使用できません。 

    使えるのは、小銭(10円・100円)だけです。ちなみに、100円ではおつりでません。 

    緊急時を考えると、少しくらい小銭は持っていた方が良いかもしれませんね。 

    ・公衆電話は停電しても小銭があれば使えるのですが、どうも電話機の小銭が貯まるところが小銭でいっぱいになると使用できないようです。(当時のわたしの経験です。) 

     今の子供たちは、公衆電話の使い方しらないらしいってニュース見た事があります。 

     公衆電話の使い方知ってて損は無いと思います。 

     つづく…。 

  • 災害備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう31年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    熊本地震

    2026年(令和8年)7月28日16時27分に熊本県で地震が発生しました。

    地震の規模は気象庁マグニチュード(Mj)7.1、震源の深さは16 kmで、熊本県の宇城市と八代郡氷川町で最大震度7を観測しました。国内で震度7を観測する地震は2024年1月1日に発生した令和6年能登半島地震以来2年6か月ぶりだそうです。また、熊本県内では平成28年熊本地震(2016年4月14日・16日)以来、10年3か月ぶりに震度7を観測し、熊本県内では10年間の3回震度7を観測する事になりました。

    よく考えてみたら、地震からまだ2か月ちょっとしか経っていないんです。

    熊本県のホームページの情報では、令和8年熊本地震による人的被害等の状況(7月29日19:00時点)で、避難所:420か所、避難者:8,698名(県が把握していない避難所に避難した方もあったと思う。)となっています。最新の熊本県のホームページの情報では、

    令和8年熊本地震に係る被害情報 (14:00現在)で、避難所:28か所、避難者:1,361名。避難所の数:392減、避難者数:7,337減と減少はしている。しかし、単純計算ですが、

    8,698名÷420=20.7名。発災直後は1避難所当たり約20.7名が避難していた事になる。

    1,361名÷28=48.6名。現在は1避難所当たり48.6名が避難している事になる。1避難所当たりに換算すると、発災時の約2.3倍の人が未だ避難している事になる。

    当然、授業の再開等で避難所に指定されていた学校から学校外への移動、自宅に戻れた人、運よく仮設に入居できた人等で、避難所の集約は進めていったと思いますが、未だ1,000人以上の方が、避難所暮らし、段ボールベットはあるようですが、プライバシー保護など望むべく無い生活をしている人がいる。こう言う情報も、熊本県のホームページの情報まで辿り着かないと分からないのが現状ではないか?と思います。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    報道は力

    先日、マスコミが久々か?熊本地震について報道をしました。

    9月30日に、天皇皇后両陛下が熊本の被災地を訪問されたからです。

    全国放送で、熊本地震の被災地が報道されるのは、久々ではないか?

    両陛下は、今回の地震で被災し今なお厳しい環境の中で避難生活を余儀なくされている人や生活の再建にあたっている人を直接見舞い、災害対応に尽力している人にも直接ねぎらいたいお気持ちを持たれてきて、今回の訪問になったそうですが、両陛下が熊本の被災地を訪問された影響で、熊本地震の被災地の現状を国民が再認識できたのかもしれません。

    やはり、報道の力は大きいと思います。被災地に寄り添う報道を継続して欲しいと思います。

    つづく…。

  • 災害備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう31年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    近畿の地震

    近畿での大規模な地震、1995年1月17日の阪神淡路大震災。次となると

    2018年6月18日の大阪北部地震になるのか?地震の規模はMj6.1で、震源の深さは13キロメートル(ともに暫定値)。最大震度6弱を大阪府大阪市北区・高槻市・枚方市・茨木市・箕面市で観測しました。阪神淡路大震災からは、23年後である。政府の地震調査委員会によると、発震機構および地震活動の分布から、震源断層は南北2つに分けられ、北側は東傾斜の逆断層、南側は南東傾斜の右横ずれ断層であったと推定されたそうです。

    この地震は、新潟-神戸歪集中帯の南西部で発生。震源の周辺には有馬-高槻断層帯や生駒断層帯、上町断層帯など複数の断層帯が存在するが、地震調査委員会は、これらの活断層が動いた証拠はないとの見解を示しました。地震の発生が危惧されてた活断層は動かなかった。

    阪神淡路大震災のような大きな地震は発生しても、更に大規模地震の発生が危惧されている断層の近くで地震が発生しても活断層は反応しなかった?だからなのか、大規模地震の発生が危惧されています。

    政府の地震調査委員会は、近畿地方で起きる直下型地震の発生確率をまとめました。今後30年以内にマグニチュード(M)6.8以上の規模の地震が発生する確率を50〜60%としました。大阪市と京都市、神戸市などは地域内でも確率が高い。7月の熊本地震と同じく断層のずれによる地震が起きやすいか「近畿北西部」「近畿三角帯」「紀伊半島」の3区域に分けて調べたようです。

    各区域の発生確率を見ると、大阪市の全域と神戸市の大部分、京都市の一部が含まれる近畿三角帯が最も高く40〜60%。近畿北西部が30%、紀伊半島が7%。活断層のずれによる直下型地震を評価している。南海トラフ地震といった海溝型地震のリスクは入っていないそうです。今回の評価で確率が高いとした断層の中には六甲・淡路島断層帯の六甲山地南縁―淡路島東岸区間(発生確率ほぼ0〜7%、M7.8)や京都盆地―奈良盆地断層帯の南部区間(同ほぼ0〜6%、M7.4)、琵琶湖西岸断層帯の北部区間(同3〜14%、M7.3)も含まれます。

    六甲・淡路島断層帯は阪神淡路大震災の際に動いた淡路島西岸区間が含まれる。

    地域ごとに直下型地震の発生確率をまとめて公表したのは2013年の九州、15年の関東、16年の中国、17年の四国に続いて5番目になる。

    近畿地方の評価に時間がかかった理由として、地震調査委は調査対象とする活断層が多かったためだそうです。今回、確率の算出に使った活断層は45断層だった。九州では28断層、中国と関東では24断層、四国では5断層だった。日本列島の構造上、ひずみがたまりやすい近畿は活断層が多くなるようです。

    地震調査委は全国でM7.0以上の地震を引き起こす可能性がある114の主要活断層帯(26年1月時点)を対象に個別に長期評価をしていた。ただ、M7.0未満の地震でも震源地が近いと震度7を計測する地点が出る可能性もある。主要活断層よりも短い断層も評価する必要から地域別に評価をまとめている。

    生まれてから、阪神淡路大震災まで地震を経験する事はなかったのですが、近畿にこんなに活断層があるなんて知りませんでした。しかし、未だ、どの活断層も動いていない…。

    中部と東北、北海道についても順次評価を実施する。3年後を目標に公表するとしている。

    今回、紀伊半島は相対的に低かった。ただ、大きな地震が発生する可能性はある。16年の熊本地震で動いた布田川断層帯はほぼ0〜0.9%、日奈久断層帯はほぼ0〜6%と地震調査委は評価していたそうです。う~む、地震発生評価の低かった熊本では、10年間に2回震度7の地震が発生しました。近畿は…、どうなんだ?

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    やはり「天災は忘れた頃にやってくる

    地震の予知自体は、できないと思います。政府も、東日本大震災以後、地震予知不可能ってことで、東海地震の予知やめました。

    こうなると、何時どこで大規模地震の発生してもおかしくないと言うことだと思います。

    だから政府も「大規模地震の発生の可能性のある活断層あります。しかし、何時起こるかはわかりません。」って事なのだと思います。

    やはり、日本に住む以上、地震への備えは必要なようです。

    つづく…。

  • 災害備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう31年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    水害Ⅱ

    今も、日本に台風が近づいています。明日には、関東に近づくようです。

    先日、千葉県で豪雨水害がありましたが、また発生してしうのか心配です。

    何度か台風の経験はありますが、幸いにも水害にまで至った事は無い。

    ただ、ここ数年の雨の降り方をみると、運が良かっただけかもしれません。

    住んでいる所の状況からすると、川の決壊による外水氾濫の危険は無さそうであるが、大型の台風が直撃すると、高潮の危険はあるかもしれません。内水氾濫については、まだそこまでの雨量を経験した事がありません。

    文部科学省及び気象庁「日本の気候変動2020—大気と陸・海洋に関する観測・予測評価報告書—」によると(以下同)、日本国内の大雨、短時間強雨の発生頻度は増えており、逆に雨の降る日数は減少しているそうです。世界の平均気温は変動を繰り返しながらも上昇していますが、日本でも1898年〜2019年の間に100年当たり1.24℃の割合で上昇しているらしい。

    近年の豪雨の多発などはこの影響があるとされています。「気温が高いほど大気中に含むことのできる水蒸気の量も増えるので、一度に降り得る雨の量が増大し、台風も強くなる可能性が高くなるので、大雨や短時間強雨などが増えるそうです。

    地球温暖化の影響が雨の降り方を変えてしまったようです。

    こればっかりは、日本だけでどうこうできる事では無く、世界で何とかしないと、何れ地球は沸騰し、生物が生きる事ができなくなるかもしれません。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    何時かは私も水害を経験するだろう

    日本の下水道管の太さは、用途や設置場所によって異なるようなのですが。一般的な家庭用の汚水管は直径100~150mm、幹線道路では直径200~400mm、さらに大規模な排水を処理するためには直径600~1000mm以上の管が使用されることがあるそうです。

    下水道なので、汚泥が溜まっていたり、水以外のモノが流れる事もあるでしょう。

    そう、単純に考えると、下水道が処理しきれない雨が降ると、雨水は道路に溢れ出る事になる。気象庁によると、内水氾濫が起こり始める目安は1時間あたり20mm以上~30mm未満の降雨だそうです。都市部では、時間雨量50mm以上の激しい雨が降ると、下水道や排水路で処理しきれず、浸水被害が発生する可能性が非常に高くなるようです。過去の事例では、東京都港区で1時間に約100mmの猛烈な雨が降り、道路や地下鉄の浸水が発生しました。地震と違い、まだ気象情報が雨量の予測を出してくれますが、「経験したことのない雨量」…いずれ、経験するだろうと思います。被害に遭わないためにも、雨量の情報には注意していきたいと思います。時間雨量50mm以上は危険だと。

    つづく…。

  • 災害備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう31年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    水害

    神戸で生まれ育った私にとって、自然災害について習ったのは、水害しか記憶が無い。

    私自身が大きな被害を受けた事は無いが、過去に大きな水害があった事、その水害により土砂崩れで山から流れて来た大きな石が記念碑となっているのを観に行った記憶がある。

    実際、毎年台風は来てたと思うし。ただ、現在のような内水氾濫や川の決壊なんてのは経験した事は無い。ましてや、地震なんて発生するなんて夢にも思っていませんでした。

    阪神淡路大震災が生まれて初めての地震の体験だったと思います。

    ただ、その後、中越地震、東日本大震災、10年前の熊本地震、能登半島地震、今年の熊本地震等各地で大きな地震が発生しています。日本が地震の活動期に入ったのは間違いないのかもしれません。そしてそこに今度は水害です。どうも雨の降り方が変わってきているようです。線状降水帯なんて言葉自体、私の子供頃聞いた事ありませんでしたから。

    ゲリラ豪雨ってのは数十年前から聞いた事あるし、多分経験もしている。ただ、これは合意居であったけど、短時間だったと思います。だからまだ下水管でなんとかできた。

    しかし、その下水管も老朽化し、なにもない時に当然道路陥没の原因となっています。

    「既存の下水道では処理しきれない量の雨が降る。既存の下水道も老朽化で何時壊れるか分からない。」今の日本はそんな状況だと思います。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    保水力

    だからと言って、直ぐに口径の大きい下水管の変えれるのか?って言っても。費用(税金)もかかるし、工事には時間もかかる、どこか一か所だけそうすれば済む話でもない。

    老朽化した下水管は新しくする必要があると思いますが、陥没等危険のあるところから順次更新して行くことになると思います。ただ、自然はそんな事待ってくれません。

    これも長期の話になってしまいますが、日本は今一度、都市、国土の在り方を考えた方が良いのではないか?「発展」と言う名代の元に、土地の保水力は低下させたのではないかと思います。日本は少子高齢化で人口が減少しています。この傾向は変わらないと思います。

    これ以上、新規の開発は無駄ではないか?(老朽化施設の建て替えは有りえるかもしれませんが)しまし、老朽化した施設、建替えても無理なモノもあると思います。これは、家屋にも言えるとおもうのですが、使い道無ければ、「自然に還す」事業もありなのではないか?

    本来の日本、その地域の生態系を復元する事業。自然環境の復元が保水力の復元になり、百年後にはその景色が、観光資源になる。「開発」だけでは、自然災害には勝てないと思うのですが…つづく…。

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう31年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    熊本地震の被災地はどうなっているのか?

    熊本地震から1か月が経過しました。熊本県のホームページの情報によると。

    (8月28日8:00現在)では、避難所への避難者数:2,442名(23日発表−359名)

    その内八代市:1,313名。(23日発表−211名)避難者の53.8%(23日発表54.4%)が八代市と言う事になります。避難所数:66、その内八代:38 避難所の57.6%が八代市です。

    (8月23日8:00現在)では、現在でも避難所への避難者数:2,801名、その内八代市:1,524名。避難者の54.4%が八代市と言う事になります。避難所数:61(23日発表−5)、その内八代:37(23日発表−1)避難所の60.7%(23日発表57.6%)が八代市です。

    1,524名÷38=40 八代市では1避難所に平均40名に方が避難している事になります。

    熊本県全体では、2,442÷66=37 1避難所当たり平均37人が避難している事になります。

    八代市では、1,313人÷37=35.5人。氷川町が、避難者数204名に対し避難所数3になっています。204÷3=68…。(23日発表から避難者−3人、避難所数±0)県全体と比較しても復旧が進んでいない感じがします。氷川町の避難所(どこの避難所かはしりませんが)は、高市総理が視察したのが確か氷川町の避難所でした。

    その時に会談した被災者の発言が、

    「避難所は食料品や色々な物資にしても至れり尽くせりで」

    「避難所の生活に不満はなく、本当に至れり尽くせりです」

    「冷房もきいててベッドも全員にね」

    でした。本当に、言われている通り、至れり尽くせりな避難所なので、被災者が避難所から出ないのでしょうか?

    正直言って「分からない」のです。総理視察以降これと言った情報を得る事ができませんでした。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    人間は忘れる生き物

    熊本地震から約1か月。何故か急に情報が出て来た感じがします。

    政府が支援策を発表した影響でしょうか?

    ライフラインはかなり復旧してるようです。

    SNSも一部避難所の画像がアップされていました。

    どこの避難所か不明ですが、ほぼ1か月前と変わらない雑魚寝状態でした。

    1か月振りの情報、人は忘れる生き物です。地震から約1か月情報が無いと、忘れます。

    ましてや、その間、千葉県や石川県で大雨で大きな被害が発生しています。その報道は、どんどん流されています。意識は、そっちに流れます。そう、熊本地震は過去のものになってしまっているのではないか?危惧してしまいます。そうならないためにも、情報、報道は継続して流す必要があると思うんです。人は忘れるんです。

    つづく…。

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう31年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    情報収集

    今から約31年前の阪神淡路大震災時、まだ携帯電話は今ほど普及していませんでした。

    私も携帯電話持ってませんでした。固定電話が主流だったと思います。最初は会社の寮の電話から実家の電話。最初は繋がったのですが(両親は避難してて不在でした)直ぐに輻輳が発生したのか繋がらなくなりました。他に連絡手段はありませんでした。今なら、一人1台は携帯電話持っているでしょうし、インターネットが普及し、SNSもあります。被災地の家族等連絡手段は様々あると思います。私も後から知ったのですが、「公衆電話」今では殆ど見る事ないですが。これは停電していても小銭があれば繋がり易い「緊急電話」だそうです。ただ、小銭の入るスペースがいっぱいになると使えなくなるようですが。

    被災地の状況を知るにも、今で言うオールドメディア、テレビ、新聞、ラジオだったと思います。後は、被災地までの交通手段が整えば「自分で見る」でしたでしょうか?

    現在よりも情報収集の手段は限られ、また情報のスピードも遅かったんです。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    情報は隠される事がある。

    熊本地震から約1か月経過しようとしています。

    震度7の地震、熊本県のホームページ(8月23日8:00現在)では、現在でも避難所への避難者数:2,801名、その内八代市:1,524名。避難者の54.4%が八代市と言う事になります。避難所数:66、その内八代:38 避難所の57.6%が八代市です。

    1,524名÷38=40 八代市では1避難所に平均40名に方が避難している事になります。

    で、その避難所での取材にルールがあるようで、八代市のホームページでは

    取材に関するルール

    1.許可される取材活動

    (1)建物外からの撮影・取材

    ・避難所建物の外側からの写真・映像の撮影、取材は可能です。

    ・駐車時や撮影時は、避難所の運営や避難者の皆さまの生活に支障が生じないよう、ご配慮ください。

    (2)許可を得た上での避難者へのインタビュー

    ・避難者へのインタビューを希望する場合は、事前に八代市災害対策本部の許可を得てください。

    ・インタビューを行う際は、対象者本人の同意を必ず確認してください。

    ・ロビーなどの共有部分(避難者がいない場合)などで取材ください。

    2.禁止事項

    ・避難所建物内での撮影(動画・写真)は禁止します。

    ・避難者の生活スペースではいかなる取材活動も禁止します。

    3.注意事項

    ・許可を取っていない人の映り込みには注意ください。

    とあります。確かに被災者のプライバシー保護は重要だと思いますが、

    避難所内の撮影禁止では、避難所が未だ雑魚寝状態なのか?改善されたのか?また、避難所にクーラーは設置されたのか?等避難所の改善状況の報道が出来にくいのではないか?

    また、避難者に対しても、

    「8月3日、各避難所に『避難所内での写真撮影に関する注意喚起』ということで、ポスターにして掲示させていただきました。おもな内容としては、避難所生活を含む避難所内の無断撮影と、そういった写真をSNSなどに投稿することへの注意喚起です。

    ほかの自治体でもあったのですが、避難所内で撮影した写真に、意図せずほかの避難者の方が写り込んでいて、それに気づかず投稿して、結果としてその方のプライバシーが侵害されてしまうという事案がありました。

    もちろん、SNSの利用そのものを禁止しているわけではありません。あくまでも、避難者のみなさんのプライバシー保護を最優先に考えた、写真撮影と写真投稿についてのお願いということです。プライベート空間で撮影した写真の投稿であれば問題ありません」

    一定の縛りがあるようです。

    何か、報道の規制が効いている感じがします。

    穿った見方をすれば、八代市ではありませんが、高市総理が熊本を視察した時に会談した被災者の発言なのですが、

    「避難所は食料品や色々な物資にしても至れり尽くせりで」

    「避難所の生活に不満はなく、本当に至れり尽くせりです」

    「冷房もきいててベッドも全員にね」

    まぁ、やらせって言う噂もありますが、この発言と実際の避難所が違う状況となると、隠したくなりますかね?

    いくら情報伝達手段が発達しても、意図的に隠されると、何位役にも立たない気がします。

    つづく…。

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう31年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    熊本地震

    熊本で大きな地震が発生しました。

    2026年7月28日16:27

    規模 マグニチュード7.1

    震源の深さ 16㎞

    今回も最大震度7が観測されました。

    どうも、過去の地震に比べると報道が少なく感じます。

    取り合えず熊本県のホームページの情報(8月16日8:00時点)

    死者:39名(これは前回から変化無)

    避難者:3,159名 避難所:79か所

    避難者数がほぼ半減しているのですが、これは「避難所に避難」した人が減ったのであり、

    避難所以外に避難した方はいると思います。

    熊本県は電気は復旧しています。しかし、避難所になっている小中学校の体育館にはエアコンがありません。総理が視察に行った中学校だけは設置されたようですが…。

    断水は続いているようで、この暑さの中での雑魚寝状態、プライバシーの保護もあったもんじゃない。

    自衛隊も熊本県知事から災害派遣要請が活動しているようですが、これもどうも報道が無い。

    熊本県の被災地から遠く離れたところに住んでいる私には、熊本の被災地で何が起こっているのかよくわからないのである。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    情報

    被災地で何が起こっているのか?被災者が困っている事は何なのか?

    地震大国日本である。何時、自分の身のも起こるかわからいないのである。

    熊本で起こっている事は、他人事ではないのだと思うのだが、あまりにも世にでる情報が少なすぎる気がします。真偽のほどは定かではないが、SNSで避難所の雑魚寝状態の動画投稿すると動画消されると言う噂がある。知られてはいけないことでもあるのでしょうか?

    被災地には寄り添える事はできるのである。その為にも、被災地の実情を国民全体で共有できるようにしてほしい。それだけである。

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう31年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    再び熊本で地震

    前回、10年前の熊本地震からの復興について書いたのですが…。

    また、熊本で大きな地震が発生しました。

    2026年7月28日16:27

    規模 マグニチュード7.1

    震源の深さ 16㎞

    今回も最大震度7が観測されました。

    10年前の熊本地震では、震度7の地震が2度発生、2度目の震度7が本震とされており

    4月14日の地震は日奈久断層帯の北端部の活動、16日未明の地震は布田川断層帯の活動によるもので、隣接する二つの断層帯が連動することで発生した連動型地震とみられてい

    ます。今回の地震は、地震活動域の付近には布田川・日奈久断層帯が存在し、地震活動は主に日奈久断層帯の高野 – 白旗区間および日奈久区間に沿って分布しており、震源断層は日奈久区間の北東部および高野 – 白旗区間の一部に達するとみらており、どうも10年前のの地震の割れ残りの部分で地震が発生したようです。

    現在の被害状況は、8月8日10:00現在、死者39名負傷者209名。

    住宅被害全壊:699棟 半壊:1045棟 一部破損:7,171棟 合計:8,915棟

    熊本県での避難者:6,573名

    今回の地震では、八代市の製紙工場で煙突が倒壊し、9名が死亡。

    残念なのが、宇城市にあるショッピングモールで、地震発生後、来店客を含めい一度避難ができたようなのですが、一部テナントで幹部から従業員に「売上を金庫に入れて欲しい」との指示があり、本来、避難後にモールの戻るにはモール側の許可がいるそうなのでその辺りの経緯は不明なのですが、テナントで働いていた従業員がモールに戻り、地震発生から約1時間20分後の17時50分頃、ガス爆発が発生、7名が死亡しました。ガスはどうもモールで使用していたLPガスが地震で漏れ出し、それが何らかの着火源によって爆発に至ったとの見方をしているそうです。何か、二次被害と言うか、テナントの会社の危機管理がどうなっていたのか、亡くならなくて良かった方が亡くなってしまったのは残念です。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    地震大国のはずが、何ら進化してない。

    多くの方が、避難所に避難しています。小学校の体育館。雑魚寝されているのが報道されています。「まだ、これなのか?」私の両親が経験した31年前の阪神淡路大震災、否、

    1923年9月1日、約103年前に発生した関東大震災時と、全然変わっていない。

    体育館にはクーラーありません。熊本でも最高気温が40度超える事があります。

    避難していても、熱中症の危険があります。この国の政府は関東大震災時の時を維持しようと言う「現状維持システム」でもあるのでしょうか?

    このままでは、能登半島地震の時のように、災害関連死が災害で亡くなられた方を大きく上回ってしまうのではないか?政府もクーラーの必要なのは、分かっているのではないかと思います。8月3日、高市総理が被災地を訪問、氷川中学を訪れたそうですが、この中学校の体育館にはクーラーは無かったのですが、総理訪問の1日に設置されたそうです。

    ついでにダンボールベッドも…何をかいわんやである。

    自助で助かった生命も公助がこれでは、助かるものも助からなくなると思います。

    公助、進化して欲しいものです。

    つづく…。

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう31年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    熊本地震後の益城町

    2016年4月14日午後9時26分の「前震」、そして約28時間後の16日午前1時25分に起きた「本震」です。短時間のうちに震度7の揺れが同一地域で連続して発生したのは、観測史上初めてのことだそうです。

    特に被害の大きかった益城町では、町全体に甚大な被害が及びんだそうです。

    益城町の主な被害状況(2025年12月時点)

    人的被害: 直接死 20人、震災関連死 25人、重傷 135人

    住家被害: 全壊 3,026棟、大規模半壊・半壊 3,233棟、一部損壊 4,325棟

    最大避難者数: 16,050人(10避難所にて記録)

    町内の家屋の98%が被災し、公共施設や道路、水道といったインフラにも深刻なダメージを受けました。この影響は人口にも及び、震災後の一年間で約1,500人もの人々が町を離れる事態となったそうです。

    その益城町なのですが、地震から10年後どうなっているかと言うと、26年3月末の人口は34,442人に回復しました。もともと熊本市に隣接するベッドタウンであり、空港、高速道路のインターチェンジがあり、熊本県の「空と陸の玄関口」と呼ばれていたそうです。

    益城町はこのリソースを復興に利用できたのでしょう。企業誘致を積極的に行い、地震後に20社以上が町内に拠点を置いたそうです。当然転入者が増え、人口が回復した。

    隣の菊陽町には半導体のTSMC熊本工場が出来、大津町には半導体関連拠点エア・ウォーターグループ熊本事業所が開所と、熊本地震から10年、復興は進んでいるようです。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    復興と言ってもそれは一概には言えない

    まぁ、と言って復興がうまく行っていない事もある。

    24年に能登半島地震が起きた石川県の奥能登地域(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)は26年2月末時点での人口が49,926人と地震前から14%減っている。

    能登半島地震はまだ2年しか経過してませんから、10年の熊本単純には比較できませんが、

    益城町には、空港、高速道路のインターチェンジと言うリソースが元々あり、企業を誘致できるだけの土地もあったのでしょう。そこは奥能登地方との大きな違いだと思います。

    大規模地震後の復興は、どこも同じ事でできるわけでは無いと言えると思います。

    奥能登地方には、日本海という豊富な漁場と景色があります。後は、やはり山、人口減少を逆手にとって、不要な家屋等は自然に還す。それが100年後にその景色は大きな財産になると思います。復興は、それぞれの地域の持つリソース、ポテンシャルを元に長期スパンの視線も必要ではないかと思います。

    つづく…。

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう31年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    地震大国日本のはずが…

    4月20日、三陸沖を震源とするM7.7の地震が発生し、政府は「北海道・三陸沖後発地震注意情報」を発表しました。発表後1週間はM9に迫る「後発地震」の可能性がある内容で事前防災を呼びかけるものでした。2025年12月の青森東方沖地震でも出された2度目だそうです。で、この後発地震の情報を受けて、「水や食料等備蓄を確認した。」26.5%。7割以上の方が、情報を受けても、災害時の為の備蓄を確認しなかった事になる。

    「直ぐに逃げられる態勢を維持した」15.9%。8割以上の方が避難について何も心配しなかったという事でしょうか?「特に何も行動はとらなかった」22.9%。前回(何時かは不明ですが)19.7%だったそうですから、何もしなかった人が3.2%増加しています。

    東日本大震災からも早15年、あの災害ですら風化されていこうというのでしょうか?

    内閣府が、令和4年と同7年に調査した事の抜粋ですが、

    大地震に備えて、どのような対策をとっているか聞いたところ、「停電時に作動する足元灯や懐中電灯などを準備している」を挙げた者の割合が51.3%(前回−2.9%)「食料・飲料水、日用品、医薬品などを準備している」46.1%(前回+5.3%)「家具・家電などを固定し、転倒・落下・移動を防止している」37.6%(前回+1.7%)「近くの学校や公民館などの避難場所・避難経路を決めている」37.0%(前回+1.5%)「特に対策は取っていない」と答えた者の割合が13.5%(前回−0.4%)

    日本は世界の0.25%の国土面積に比して,マグニチュード6以上の地震回数20.8%。小さな地震大国と言えるでしょう。しかし、食料等の備蓄でさえ半数にも至っていない。

    何もしていない人…日本の人口は約1億2,500万人ですから、1億2,500万人×13.5%=約1,700万人弱の人が何も対策をしていない計算になります。

    南海トラフ地震や首都直下地震の被害想定で死者数も想定されていますが、この状況を見ると、想定を超える死者数になるのではないかと危惧してしまいます。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    今からでも遅くは無い

    何時起こるか分からない大規模災害に対しての対策、空振りになるかもしれません。

    しかし、生命は一度亡くしてしまうと終わりなんです。

    地震が発生すると、行政も警察も消防も自衛隊も被災するんです。

    建物の耐震化は進んでいるので、建物の倒壊自体は過去の大規模地震に比べ少なくなるかもしれません。しかし、揺れるんです。部屋は。止まるんです、水道、電気、ガス。

    直ぐに、助けは来ないんです。発災直後は、自分に身は自分で守るしかないんです。

    生き残りたいのならば、平時からの「自助」の準備をお勧めします。

    つづく…。