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震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう29年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
その後の私
地震発生時の事を一度両親に聞いた事があります。今となっては、もっと聞いておきたかったなと思うのですが、そうもいかんようになってしまいました。
で、地震発生時なのですが、父親は既に起きていて、1階の四畳半の居間の炬燵で本を読んでいたそうです。そこに地震発生、食器棚とか本棚とか倒れてきたようなのですが、丁度父親の座っているところがエアポケットのような感じで何も倒れてこず、気が付くと倒てきたモノに囲まれて座っていたそうです。確かに会った時は怪我もなくピンピンしてたしなぁ…そんな事もあるんかと思いました。で、母親なんですが、2階で寝てたそうです。
そこに地震、箪笥上部が倒れてきたそうです。ただ、母親が言うには「貧乏で良かったわぁ、箪笥の中空やったから軽くて何とかできた、服入っていたら危なかったわぁ。」まぁ、助かったから良かったのですが、貧乏が原因で助かったって…ちょっと複雑な心境になりました。地震が収まった後、1階の父親からの声が聞こえたそうで。「何でもええから履けるだけの靴下履いて降りてこい!」だったそうです。確かにあの室内で裸足は危険だったと思いますが、良く父親そんな事言ったなと感心しました。どうにか脱出して、近所の人と生き埋めになった人助けたって言ってました。確かに、実家の近隣では亡くなった方いなかった気がします。その後、近所の人と一緒に住吉幼稚園に避難したそうです。
住吉幼稚園は指定の避難所では無かったのかもしれませんが、近所ではそう言う運用になっていたのでしょうか?
明るくなり、皆一度家に戻ったそうです。そして幼稚園に戻って来た時には、皆片手に炊飯器持ってたそうです。生き残ったからの食糧だったと思います。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
まずは生き残る事
地震後に実家に入ったのですが、靴を脱いで入れる状況ではありませんでした。
両親、良く足怪我せず脱出できたと思います。
割れた食器なんかあると危険です。
体で最も守らなければならないのは、頭部だと思うのですが、頭部の次は脚だと思います。
避難したくても動けなくなってしまいますから。
先ずは、生き残る事を考える、行動することが大事だと思います。
つづく…。

現在、私の枕元にある、防災用スリッパです。
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震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日の話②
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう29年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
その後の私
地震、長く感じた地震が収まりました。ベッドの中で、「今の何?これが地震?」まだ何か起こったのかよく理解できぬまま、とりあえずテレビつけてみました。ここで初めて近畿地区で何か大きな地震が発生したらしい事が理解できました。ただ、大きな地震など経験した事が無かったので、どのような被害が発生しているのかなんて、全く想像できませんでした。また、早朝に発生したため、報道機関も情報入手が困難だったのでしょうか、詳しい被害状況についてはまだ報道されていませんでした。
ここで覚えているのは、各地の震度が報道され始めたのですが、何故か神戸だけ震度が出ていませんでした。「あれ?なんで神戸だけ震度出ないんやろ?」不思議に思いながらテレビを見ていたら神戸の震度がでました。神戸震度6…「はぁ?震度6?やばい!!」私の実家は、神戸市東灘区の住吉ってところにありました。実家と言っても、築40年以上の木造の5軒長屋です。当時は両親だけが住んでいました。木造のボロ長屋、両親無事なんか?あれが地震に耐えられるんか?。私の心に暗雲が垂れ込め始めました。
電話
私は急いで、寮に1台だけある公衆電話に向かいました。当時はまだ携帯電話は、さほど普及しておらず、私も、両親ももっていませんでした。
実家に電話をかけてみました。
「トゥルルルルー、トゥルルルルー。」まだ回線がパンクする前だったのか、この時数回電話しましたが、電話は繋がりました。けど、誰も電話にはでませんでした。
「電話が鳴るっちゅーことは、電話は無事、でも何で誰もでーへんねん?」私の頭の中パニックになってきましたが、このあと回線がパンクしたのか電話は繋がらなくなりました。
両親は無事なんか?実家はいったいどないなっているのか?私の心の暗雲が更に広がっていきました。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
公衆電話

当時は、携帯電話が今の様に普及しておらず、固定電話、公衆電話が主流でした。
で、この公衆電話なんですが、これは「災害時優先電話」なんです。
輻輳(ふくそう)が発生しても繋がり易いんです。私の実家への電話が当初繋がったのも
回線が地震で切れなかったってのもありますが、公衆電話から掛けたことも電話が繋がった要因だったのかもしれません。
※輻輳(ふくそう)交換機の一定時間内に処理できる能力を越える電話が集中することにより発生するいわゆる「電気通信網の渋滞」のこと。
公衆電話について少し注意しておきたいのが、
・公衆電話は、停電しても使用できますが、その場合テレホンカードは使用できません。
使えるのは、小銭(10円・100円)だけです。ちなみに、100円ではおつりでません。
緊急時を考えると、少しくらい小銭は持っていた方が良いかもしれませんね。
・公衆電話は停電しても小銭があれば使えるのですが、どうも電話機の小銭が貯まるところが小銭でいっぱいになると使用できないようです。(当時のわたしの経験です。)
今の子供たちは、公衆電話の使い方しらないらしいってニュース見た事があります。
公衆電話の使い方知ってて損は無いと思います。
つづく…。
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震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
現実
先般、参議院選挙がありましたね。
私も有権者なので選挙に行きました。場所は近所の小学校でした。
校舎の廊下は、左程暑さを感じなかったのですが、会場の体育館に入った瞬間、
「暑っ!!!」でした。窓やドアは全て開いていてか?また大型の扇風機が数台ありました。しかし「暑かった。」早々に退散したのですが、「あれ?小学校?もしかして、避難所に指定されれいる?」調べてみると、一時避難所・避難所に指定されていました。
あの体育館には冷房は無かった。教室は確認してませんので何とも言えませんが
この暑さの中、あの体育館に避難するのは安全なのか?ライフラインが止まった時、あそこで暑さに耐えれるのか?
何か、選挙に行って意外な現実をしる事になりました。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
自分で確かめる
現在、各行政等、ハザードマップや避難所をホームページ問等で公表しています。
情報の入手は容易になっていますが、やはり自分の目、足で確かめる事は重要かと思う。
私も今回の選挙がなければ調べる事はなかったと思います。(本当は、耐震や備蓄もしりたかったのですが、どうもその情報には行き当たりませんでした。)もし、避難しなければならなくなったら、何分で辿りつけるのか?そこはどんな場所なのか?知ってるとと知らないとでは大きな違いがあると思います。
で、後で知ったのですが、私の住んでいる市の小学校の体育館等での冷房設備設置率は0.0%。だそうです…。
つづく…
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震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
雨って…。
昔も、夕立とかありましたが、ここ数年の雨の降り方は、どうも昔とは違う気がします。
少し調べてみたのですが、気象庁のホームページ見てみました。
① 全国の1時間降水量(毎正時における前1時間降水量)50mm以上の大雨の年間発生回 数は増加しています。統計期間1976~2024年で10年あたり28.2回の増加、信頼水準99%で統計的に有意。最近10年間(2015~2024年)の平均年間発生回数(約334回)は、統計期間の最初の10年間(1976~1985年)の平均年間発生回数(約226回)と比べて約1.5倍に増加しています。このレベルはまだ、現状の下水管でギリ対応できるか?それでも増加してるのは確かなようです。
②全国の1時間降水量80mm以上の年間発生回数は増加しています。統計期間1976~2024年で10年あたり2.4回の増加、信頼水準99%で統計的に有意最近10年間(2015~2024年)の平均年間発生回数(約24回)は、統計期間の最初の10年間(1976~1985年)の平均年間発生回数(約14回)と比べて約1.7倍に増加しています。このレベルだと、内水氾濫が発生してもおかしくない。これも増えていますね。
③全国の1時間降水量100mm以上の年間発生回数には増加傾向が現れています。統計期間1976~2024年で10年あたり0.5回の増加、信頼水準95%で統計的に有意。最近10年間(2015~2024年)の平均年間発生回数(約4.0回)は、統計期間の最初の10年間(1976~1985年)の平均年間発生回数(約2.2回)と比べて約1.8倍に増加しています。これは所謂、記録的短時間大雨情報は、1時間に100ミリ前後の数年に一度程度しか起こらないような猛烈な雨が観測された場合に気象台が発表する気象情報のレベルでしょうか?水害が発生するレベルの降り方の雨が増加してるようです。
ニュースで良く見るようになったのも頷ける。気象は、地震と違いある程度予想ができますが、ちょっと心配なのが、洪水や 土砂災害 を引き起こす大雨が増加するなかで、特に支流を含む中小河川で、水害リスクの把握が遅れているそうです。 国が進める「洪水 浸水 想定区域図」の作成が、今年3月時点で約6割にとどまっているとか。 本来ある水害リスクが、市区町村の水害 ハザードマップ に反映されず、リスクが見落とされている恐れがあります。普段は、ちょろちょろとしか水が流れていない河川が、突如牙をむく事があり得るんです。そしてそれがハザードマップ自体に記載が無い…。行政が警報や避難勧告だすんでしょうが、想定が無いと判断が遅れなければ良いのですが…。地震は地球にプレートの動きなので人の力が及ば無いものだと思うのですが、雨、気候変動の影響なのでしょうか?そうなるとこれは人が原因になってしまうのでしょうかねぇ?自業自得とは思いたくなにのですがね。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
下水道三重苦
日本の下水道なのですが、八潮市で起こった様に、何もしていなくても地面に穴が開くくらい老朽化しています。
そんな老朽化している中、雨の降り方が変わり、短時間で現在の下水道管では処理しきれない水量が発生している。
そこに、南海トラフ地震、首都直下地震が差し迫っている。
日本の下水道は三重苦のようです。
つづく…
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震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
水害
私自身が水害にあった記憶は無いのだが、神戸は扇状地と言うこともあり
過去には水害があった。記録を見てみると、河があふれたり土砂崩れ。
所謂、外水氾濫だと思います。
外水氾濫とは、河川や湖沼、海等の外部の水域が、大雨や台風、融雪によって水位が上昇し、堤防を越えたり決壊したりして氾濫する現象のことです。
外水氾濫が起こると、大量の高速氾濫流が短時間のうちに市街地へ流入し、浸水被害や人的被害が発生します。広範囲に被害がおよぶことも多い他、河川の土砂を含んだ水が流れ込むため、洪水が去ったあとでも復旧活動に時間がかかる傾向にある水害です。
私が子供の頃に習ったのは、まさにこんな感じの水害でした。
しかし、最近はそれとは違う水害が多く発生しているようで…。
昨日、関東甲信を中心に大雨となりました。9都県のべ55か所に「記録的短時間大雨情報」が発表されました。
記録的短時間大雨情報は、1時間に100ミリ前後の数年に一度程度しか起こらないような猛烈な雨が観測された場合に気象台が発表する気象情報で、大雨警報の発表中に更なる警戒を呼び掛けるものだそうです。
ニュースで横浜市港北区ではマンホールのふたが飛んで水が噴き出し、周辺の道路が割れたって報道がありました。マンホールの蓋が飛ぶのは何度か見た事がありますが、周辺の道路のアスファルト部分が割れたのを見たのは初めてだったと思います。
横浜市は下水道管内の流量が急激に増えたことで、空気圧が急上昇する「エアーハンマー現象」が起きたとみている。エアハンマー現象とは、「圧縮された空気がマンホールのふた、下水道管の施設を急激な力で圧縮された空気が破壊する現象」だそうです。
初めて聞いた言葉です。関東では大雨が降りましたが、河川から水が溢れたような事では無いようで、所謂、内水氾濫になると思います。
内水氾濫とは、大量の雨に対して排水機能が追い付かずに、処理しきれない雨水で土地や建物が水に浸かってしまう現象のことだそうです。
こんなの子供の頃、習わなかったですね。
しかし、既に全国で、線状降水帯(これも子供の頃聞いた事ない言葉です。)等、過去には無かった短時間での大雨が発生しています。河川が近くに無くても水害の可能性はあるんです。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
現状維持では無理かもしれない。
一般的な下水管が耐えられる雨量は1時間あたり40ミリから50ミリ程度だそうです。
記録的短時間大雨情報は、1時間に100ミリ前後の雨量の想定ですから下水管が耐えられる2倍ほどの雨量と言うことになります。その水は下水道管外に出るしかない。で、水害になる。下水道管は老朽化も進んでおり、国も大規模地震発生時のライフラインの確保として更新を進めるようですが、もし今迄と同じ太さの下水管なら…内水氾濫は減らないのかなぁ…。
つづく…
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震災備忘録:阪神淡路大震災
震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
7月5日は何も無かったけれども
何か7月5日に日本で大規模災害が起こるみたいな噂があり海外からの旅行者も減ったって話がありましたが…熱中症はありましたか?
かと言って今後何も起こらないって話では無い。
例えば、南海トラフ地震、今後30年以内に80%程度の確率で発生するとされています。
私、専門家では無いので、こう言う確率ってどう計算しているかわかりません。
ただ、過去に発生していることは分かっているようなので、それなら素人の私でも調べりゃ分かる。
間隔
684年 白鳳地震
887年 仁和地震 203年
1096年 永長地震 209年
1361年 正平(康安)地震 265年
1498年 明応地震 137年
1707年 宝永地震 209年
1854年 安政地震 147年
1944 / 1946年 昭和地震 90年
今年が2025年なので、最後に発生してから79年ってことになる。
これだけを見ると、直ぐでは無い気がするのですが、自然の事ですから油断は禁物。
で、少し気になるのが、この中で駿河湾で地震が発生したと言われているのが
間隔
1096年 永長地震
1498年 明応地震 402年
1707年 宝永地震 209年
1854年 安政地震 147年
今年で171年…南海トラフ地震といっても、3か所くらいに分けて考えた方が良いかもしれません。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
国の被害想定
7月1日政府の中央防災会議が、南海トラフ巨大地震の防災対策推進基本計画を改定しました。最大29万8千人の想定死者数を10年以内に8割減らす等、大幅な減災目標を掲げています。ん?10年以内?って事は、南海トラフ地震は、約10年後くらいか?って思ってしまうのは穿った見方でしょうかねぇ?
後ね、高い目標掲げているんですが、財政的支援は無いみたい…国はこれで良いんかな?
つづく…
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震災備忘録:阪神淡路大震災
震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
戦後復興の奇跡
ちょっと第二次世界大戦後(1945年)の日本で発生した大規模地震について調べてみた。
1946年12月21日昭和南海地震 最大震度5 死者行方不明者:1,443人
1948年6月28日福井地震 最大震度6 死者行方不明者:3,769人の
1960年5月23日 チリ地震津波 死者142人
1968年5月16日 十勝沖地震 最大震度5 死者行方不明者:52人
1974年5月9日 伊豆半島沖地震 最大震度5 死者30人
1978年1月14日 伊豆半島近海の地震 最大震度5 死者25人
1978年6月12日宮城県沖地震 最大震度5 死者28人
1983年5月26日日本海中部地震 最大震度5 死者104人
1984年9月14日長野県西部地震 推定震度6 死者行方不明者:29人
1993年7月12日北海道南西沖地震 推定震度6 死者行方不明者:230人
1995年1月17日阪神淡路大震災 震度7 死者行方不明者:6,437人
阪神淡路大震災が戦後の地震では、最大の被害であったと思うのですが
不思議なのは、戦後復興の元となった工業地帯、京浜工業地帯
中京工業地帯 阪神工業地帯 北九州工業地帯 所謂太平洋ベルト地帯の
産業に影響を与える大規模な地震が無かった。日本の高度成長期にはその成長を支える産業集積地は平和だったんです。奇跡だったのでしょうか?
その代わり、交通事故死亡者の増加、公害の発生はありましたが…。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
奇跡は終わった?
今年に入り、政府が南海トラフ地震の新たな被害想定をだしたり、
富士山の噴火の被害想定も新たに出しました。
昨年は日本海側の能登半島地震が発生しましたが、
日本の産業を支えてきた、太平洋ベルト地帯の被害が想定されています。
う~む、戦後高度成長期の様な奇跡は終わったんでしょうか?
つづく…
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震災備忘録:阪神淡路大震災
震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
気温
暑いですよね?
まだ梅雨も明けていないのに、30度以上の気温の日々が続いています。
ニュースでも熱中症での搬送とか報道されています。
天気予報は地震とは違い、かなり正確な予想ができますので、それなりに準備はできるとは言え、やはり暑い。地球温暖化の影響なのでしょうか?
1990年阪神淡路大震災時の神戸の6月の気温はどうだったんだろうか?
調べてみました。一番高かったのは、6月30日の29.6度。一度も30度台はなかったようです。最低気温は6月7日の14.6度。最低気温が20度を超えたのは9日だけでした。
昨年はどうだったか?最高気温6月13日の31度。30度以上が4日ありました。最低気温は、6月1日の15.8度。20度を超えたのが18日。梅雨の期間の6月でも確実に気温は上がっているようです。大規模な地震が発生しなくても気温に殺されそうな気がします。
今、大規模な地震が発生し電気が止まったとすると、エアコンが使えなくなり、室内にいる場合、窓開けるくらいしか手段は無いかと思うが、何時まで耐えられるのか自身は無いです。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
夏はこれから
これから夏本番。これからもっと気温が上がっていくんですよね。
昨年の8月。最高気温は、14日36.9度、30度以上が30日。1日だけ29度です。
最低気温、25.7度。28度以上が11日。
1990年はどうか?最高気温は、8日36.5度?昨年とあまり変わっていない?
30度以上が30日。これも変化無。ただ、最高気温が28度以上は1日しかありませんでした。昼間の暑さは変わらないが、朝方や日が暮れれば、凌げられたのかもしれません。
企業熱中症対策の義務化は以前書きましたが、働かなくなった高齢者等は自分で対策しなければなりません。地震対策の前に、まずは健康の維持が大事かもしれません。
つづく…
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震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
老朽化
2025年1月28日埼玉県八潮市で道路陥没事故が発生しました。当時の映像が放映されたのですが、突然道路に穴か開き、そこにトラックが吸い込まれて行くのには驚きました。
また、その後穴がどんどん大きくなっていった事にも驚かされました。
これは、地震とか何も発生していな、通常の状態で突然道路に穴か開く…。
原因は、下水道管の老朽化だそうです。
ドラックの運転手の方は亡くなられました。何の過失も無かったと思います。
こういう場合、責任の所在は何処になるのか?消防等によ懸命な救助活動はありましたが、
ご遺体収容は数か月後、ご冥福をお祈りする事しかできません。
他にも被害が発生しています。
陥没地点から半径200メートル以内の約200世帯に対して避難勧告。
県が約2週間にわたり120万人に下水道利用の自粛。
NTT東日本は、陥没事故により地中に埋まっているケーブルが断線したと発表。
これによりインターネットや電話がおよそ1300回線、固定電話がおよそ300回線利用できない状態となったよいです。
八潮市の件以外でも発生しているようです。
下水道の老朽化対策の遅れにより、地震が無くても道路に穴が開くんです。現在の日本は。
日経新聞によると、下水道は大小合わせて全国で全長50万㎞あるそうです。
一般的に耐用年数は平均50年ほどだそうです。ただ、八潮市の道路陥没事故の原因となった下水道管は施設されたのが42年前ですから、施設された場所によって老朽化の違いはあるのでしょうか。で、国土交通省が全体の7%が使用から50年以上だそうです。
50万㎞×7%=3万5千㎞が、陥没等の可能性また大規模な地震が発生した時に被害の発生の可能性が高いと言えるかもしれせん。また、40年以上が13%。八潮市の場合ここに該当するのでしょうか?50万㎞×13%=6万5千㎞これも八潮市の件を考えると心配な面があります。八潮市の件から下水道の安全性について対策進めるようですが、ここまで対策放置してきた人災的な面は否定できないと思います。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
老朽化は下水道だけでは無い。
阪神淡路大震災でも、電気の復旧:6日、電話:14日、ガス:85日、上水:90日、下水:93日。30年前の地震でも下水の復旧に時間が掛かる事がわかると思います。
ただ、老朽化は、下水道だけではないと思うんですよね。
上水道は然り、橋とか堤防とか…。建物の耐震化が進んでいるようですが、通れなくなると救援にも行けない、物資も運べない…ちょと心配なんですよねぇ。
つづく…
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震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。 あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
平時でも人は死ぬ
まぁ、当たり前のことであるが、人は何時かは死ぬ。
ただ、死の原因には変化があるようです。
例えば交通事故。1970年交通事故の死亡者数(警察統計):16,765名。
一日平均約49名が個通事故で亡くなった事になります。
交通戦争とか言われてたか?ちなみにこの年、私も交通事故に遭いました。
死にかけたそうです。私の事は別として、1970年の交通事故の死亡者数は
いまでも一番交通事故死数だそうです。
今どうなのか?昨年2024年の交通事故の死亡者数は、2,663名。
一日平均約7名が個通事故で亡くなった事になります。
約半世紀で、85%くらい年間の交通事故の死亡者が減ったことになります。
法律の整備・救急体制・医療技術・道路整備・自動車の性能等、交通事故は人の力で減らす事ができると思います。
逆に増加した死因。熱中症で亡くなった方は増加しているようです。
朝日新聞の記事では、1980年代の10年間の熱中症死亡者の総計:580名
年平均58名位が熱中症で亡くなっているようです。
これが2015年~2024年の10年間では、12,475名が熱中症で亡くなっているようです。
年平均1,248名位が熱中症で亡くなっている事になります。
80年代と比較すると年平均21倍強増加しています。
地球温暖化による気温の上昇が原因の一つのようですが、こればかりは一国でどうにかなるものでは無いような気もしますが、国が熱中症対策を義務化したのも分からんではないかと思う。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
平時って無くなってしまったかもしれない。
熱中症に注意が必要になるには、気温25度、湿度70%以上からだそうで、
別に炎天下って事では無いようです。十分、室内にいても発生する可能性は有る。
高齢者や肥満の方は注意が必要らしいのですが、これから更に高齢化が進む日本。
平時って無くなってしまったかもしれません。
つづく…
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震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
熱中症
私の実家には、クーラーがありませんでした。まぁ、貧乏だったからかもしれませんが、
扇風機で何とかなってました。そう言えば、私の母校(高校)にはプールありませんでした。
夏でも体育ではグランド走ってた記憶あります。私、体育系では無いですが倒れる様な事はありませんでした。地球温暖化叫ばれる前ですから、今よりも夏場の気温低かったのでしょう。その頃は、熱中症なんて言葉はまだ殆ど知られていなくて、日射病とか熱射病とか言ってましたかね。今では考えられないくらい暮らしやすかったんでしょうか?
かなり前、あるお医者さんの講演を聞いたのですが、昔は道で行き倒れのような死亡は、
冬場が多かったそうです。ヒートショックとかで、心筋梗塞や脳溢血とか。で、ある頃から、夏場に亡くなる方が増加してきたそうです。それで調べてみると、どうも熱中症らしいと。
で、熱中症に注意しましょうってのが全国に広まったとか。
大規模な地震が発生し、ライフラインは止まる。今までは、エアコン使えたのが使用できなくなる。この変化だけでも、かなりストレスが掛かり、肉体的にも夏場はきつくなると思います。(6月でも熱中症で亡くなられる方いるようですから。)日向に出ないとかこまめに水分補給するとか、中々これといった手は浮かびませんが、阪神淡路大震災時ではあまり注意する事が無かった事が、平時から身の危険を考えなければならない時代になっているようです。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
熱中症対策義務化
2025年6月1日から(今日ですね。)、職場での熱中症対策が義務化されます。もし企業が対策を怠った場合は罰則があるようで、対象となる作業をおこなう企業は必ず対応しなければならなくなるそうです。
熱中症対策は全ての企業で義務づけられるわけでは無いようで、一定の条件を満たす作業を実施する企業において、義務化のようです。また具体的な熱中症対策の内容などについては、以下のとおりです。
対象となる作業は、WBGT(暑さ指数)28度以上または気温31度以上の環境で、連続1時間以上または1日4時間以上の実施が見込まれる作業だそうです。
1 熱中症を生ずるおそれのある作業(※)を行う際に、
①「熱中症の自覚症状がある作業者」
②「熱中症のおそれがある作業者を見つけた者」
がその旨を報告するための体制(連絡先や担当者)を事業場ごとにあらかじめ定め、関係作業者に対して周知すること
2 熱中症を生ずるおそれのある作業(※)を行う際に、
①作業からの離脱
②身体の冷却
③必要に応じて医師の診察又は処置を受けさせること
④事業場における緊急連絡網、緊急搬送先の連絡先及び所在地等
など、熱中症の症状の悪化を防止するために必要な措置に関する内容や実施手順を事業場ごとにあらかじめ定め、関係作業者に対して周知すること
建設現場とかなら事前に判断できるでしょうけど、事前に該当するかどうか判断するの難しいケースがあるような気がします。
もし企業が対策を怠った場合は、6カ月以下の拘禁刑または50万円以下の罰金が科される可能性があるようです。(可能性か?)
流石に、国も動かざるを得ない状況になったようです。熱中症。
つづく…。
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震災備忘録:阪神淡路大震災
1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
ハミガキどうしてなのか?
もう30年前なので記憶が無いのだが、両親は阪神淡路大震災で自宅が被災し住吉幼稚園に避難した。私は何回か避難所になっていた住吉幼稚園に物資背負って行ったのだが、何時も日帰りにしてました。避難あれている他の方の迷惑になる気がしてたので。
で、そう言う場面を見ていないからなのだろうが、ハミガキどうしてたんだろう?
災害時の口腔衛生は意外と重要で、長期間の避難所生活で偏った食事と満足にハミガキできない環境は、虫歯や歯周炎、口内炎、口臭などの口腔内の問題の生じやすくなります。
口腔内を清潔に保たないと、子供においては、インフルエンザ等呼吸器疾患に罹患するリスクが上がります。また、高齢者の場合も同様に誤嚥性肺炎などの呼吸器感染症が増加する可能性が高まり、時には死に至る重篤な状態に及ぶこともあります。
口の不健康は、体全体の健康にも影響するんです。
今だから、こんな事言えるのですが、当時は全然知らんかった訳で、持っていった物資にも無かったかと思う。今後は注意しておきたいですね。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
災害時の口腔衛生は重要
災害時の口腔衛生は以外と重要で、現在、避難時の持ち出し袋には入れておくべきモノになっていると思います。(水ハミガキとか水無くてもハミガキできるものもあるようです。)
今後、南海トラフ地震災や首都直下地震等大規模地震が発生すれば避難民の多くは高齢者になってしまうと思います。口腔衛生対策をしていないと、誤嚥性肺炎などの呼吸器感染症が増加、災害関連死に繋がってしまうと思います。国も注意喚起をしています。
令和5年 10月5日
歯科口腔保健の推進に関する基本的事項の全部改正について
厚生労働省医政局長名で発信されています。その中に下記の記載があります。
災害発生時には、避難生活等において口腔内の清掃不良等によりリスクが高くなる誤嚥性
肺炎の発症等の二次的な健康被害を予防することが重要であり、平時から国民や歯科口腔保健の関係者に対して、災害時における歯科口腔保健の重要性について普及啓発活動に努める必要がある。
また、地方公共団体においては、大規模災害時に必要な歯科保健サービスを提供できる体
制構築に平時から努める必要があり、災害時に対応できる歯科専門職や災害発生時の歯科保健活動ニーズを把握する人材の育成に努めるとともに、地域の職能団体等の関係団体と連携するように努めることとする。なお、大規模災害時の歯科口腔保健等に関する活動の指針等を策定する等の対応を行うことが望ましい。
災害時の口腔衛生重要ですね。
つづく…。