• 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう29年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    その後の私

    地震発生時の事を一度両親に聞いた事があります。今となっては、もっと聞いておきたかったなと思うのですが、そうもいかんようになってしまいました。

    で、地震発生時なのですが、父親は既に起きていて、1階の四畳半の居間の炬燵で本を読んでいたそうです。そこに地震発生、食器棚とか本棚とか倒れてきたようなのですが、丁度父親の座っているところがエアポケットのような感じで何も倒れてこず、気が付くと倒てきたモノに囲まれて座っていたそうです。確かに会った時は怪我もなくピンピンしてたしなぁ…そんな事もあるんかと思いました。で、母親なんですが、2階で寝てたそうです。

    そこに地震、箪笥上部が倒れてきたそうです。ただ、母親が言うには「貧乏で良かったわぁ、箪笥の中空やったから軽くて何とかできた、服入っていたら危なかったわぁ。」まぁ、助かったから良かったのですが、貧乏が原因で助かったって…ちょっと複雑な心境になりました。地震が収まった後、1階の父親からの声が聞こえたそうで。「何でもええから履けるだけの靴下履いて降りてこい!」だったそうです。確かにあの室内で裸足は危険だったと思いますが、良く父親そんな事言ったなと感心しました。どうにか脱出して、近所の人と生き埋めになった人助けたって言ってました。確かに、実家の近隣では亡くなった方いなかった気がします。その後、近所の人と一緒に住吉幼稚園に避難したそうです。

    住吉幼稚園は指定の避難所では無かったのかもしれませんが、近所ではそう言う運用になっていたのでしょうか?

    明るくなり、皆一度家に戻ったそうです。そして幼稚園に戻って来た時には、皆片手に炊飯器持ってたそうです。生き残ったからの食糧だったと思います。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    まずは生き残る事

    地震後に実家に入ったのですが、靴を脱いで入れる状況ではありませんでした。

    両親、良く足怪我せず脱出できたと思います。

    割れた食器なんかあると危険です。

    体で最も守らなければならないのは、頭部だと思うのですが、頭部の次は脚だと思います。

    避難したくても動けなくなってしまいますから。

    先ずは、生き残る事を考える、行動することが大事だと思います。

    つづく…。

    現在、私の枕元にある、防災用スリッパです。

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日の話②

    阪神淡路大震災とは 

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。 

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。 

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。 

    あれから、もう29年も経過したんですね。 

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    その後の私 

    地震、長く感じた地震が収まりました。ベッドの中で、「今の何?これが地震?」まだ何か起こったのかよく理解できぬまま、とりあえずテレビつけてみました。ここで初めて近畿地区で何か大きな地震が発生したらしい事が理解できました。ただ、大きな地震など経験した事が無かったので、どのような被害が発生しているのかなんて、全く想像できませんでした。また、早朝に発生したため、報道機関も情報入手が困難だったのでしょうか、詳しい被害状況についてはまだ報道されていませんでした。 

    ここで覚えているのは、各地の震度が報道され始めたのですが、何故か神戸だけ震度が出ていませんでした。「あれ?なんで神戸だけ震度出ないんやろ?」不思議に思いながらテレビを見ていたら神戸の震度がでました。神戸震度6…「はぁ?震度6?やばい!!」私の実家は、神戸市東灘区の住吉ってところにありました。実家と言っても、築40年以上の木造の5軒長屋です。当時は両親だけが住んでいました。木造のボロ長屋、両親無事なんか?あれが地震に耐えられるんか?。私の心に暗雲が垂れ込め始めました。 

    電話 

    私は急いで、寮に1台だけある公衆電話に向かいました。当時はまだ携帯電話は、さほど普及しておらず、私も、両親ももっていませんでした。 

    実家に電話をかけてみました。 

    「トゥルルルルー、トゥルルルルー。」まだ回線がパンクする前だったのか、この時数回電話しましたが、電話は繋がりました。けど、誰も電話にはでませんでした。 

    「電話が鳴るっちゅーことは、電話は無事、でも何で誰もでーへんねん?」私の頭の中パニックになってきましたが、このあと回線がパンクしたのか電話は繋がらなくなりました。 

    両親は無事なんか?実家はいったいどないなっているのか?私の心の暗雲が更に広がっていきました。 

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    公衆電話 

    当時は、携帯電話が今の様に普及しておらず、固定電話、公衆電話が主流でした。 

    で、この公衆電話なんですが、これは「災害時優先電話」なんです。 

    輻輳(ふくそう)が発生しても繋がり易いんです。私の実家への電話が当初繋がったのも 

    回線が地震で切れなかったってのもありますが、公衆電話から掛けたことも電話が繋がった要因だったのかもしれません。 

    ※輻輳(ふくそう)交換機の一定時間内に処理できる能力を越える電話が集中することにより発生するいわゆる「電気通信網の渋滞」のこと。 

    公衆電話について少し注意しておきたいのが、 

    ・公衆電話は、停電しても使用できますが、その場合テレホンカードは使用できません。 

    使えるのは、小銭(10円・100円)だけです。ちなみに、100円ではおつりでません。 

    緊急時を考えると、少しくらい小銭は持っていた方が良いかもしれませんね。 

    ・公衆電話は停電しても小銭があれば使えるのですが、どうも電話機の小銭が貯まるところが小銭でいっぱいになると使用できないようです。(当時のわたしの経験です。) 

     今の子供たちは、公衆電話の使い方しらないらしいってニュース見た事があります。 

     公衆電話の使い方知ってて損は無いと思います。 

     つづく…。 

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    戦後復興の奇跡

    ちょっと第二次世界大戦後(1945年)の日本で発生した大規模地震について調べてみた。

    1946年12月21日昭和南海地震 最大震度5 死者行方不明者:1,443人

    1948年6月28日福井地震 最大震度6 死者行方不明者:3,769人の

    1960年5月23日 チリ地震津波 死者142人

    1968年5月16日 十勝沖地震 最大震度5 死者行方不明者:52人

    1974年5月9日 伊豆半島沖地震 最大震度5 死者30人

    1978年1月14日 伊豆半島近海の地震 最大震度5 死者25人

    1978年6月12日宮城県沖地震 最大震度5 死者28人

    1983年5月26日日本海中部地震 最大震度5 死者104人

    1984年9月14日長野県西部地震 推定震度6 死者行方不明者:29人

    1993年7月12日北海道南西沖地震 推定震度6 死者行方不明者:230人

    1995年1月17日阪神淡路大震災 震度7 死者行方不明者:6,437人

    阪神淡路大震災が戦後の地震では、最大の被害であったと思うのですが

    不思議なのは、戦後復興の元となった工業地帯、京浜工業地帯

    中京工業地帯 阪神工業地帯 北九州工業地帯 所謂太平洋ベルト地帯の

    産業に影響を与える大規模な地震が無かった。日本の高度成長期にはその成長を支える産業集積地は平和だったんです。奇跡だったのでしょうか?

    その代わり、交通事故死亡者の増加、公害の発生はありましたが…。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    奇跡は終わった?

    今年に入り、政府が南海トラフ地震の新たな被害想定をだしたり、

    富士山の噴火の被害想定も新たに出しました。

    昨年は日本海側の能登半島地震が発生しましたが、

    日本の産業を支えてきた、太平洋ベルト地帯の被害が想定されています。

    う~む、戦後高度成長期の様な奇跡は終わったんでしょうか?

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    気温

    暑いですよね?

    まだ梅雨も明けていないのに、30度以上の気温の日々が続いています。

    ニュースでも熱中症での搬送とか報道されています。

    天気予報は地震とは違い、かなり正確な予想ができますので、それなりに準備はできるとは言え、やはり暑い。地球温暖化の影響なのでしょうか?

    1990年阪神淡路大震災時の神戸の6月の気温はどうだったんだろうか?

    調べてみました。一番高かったのは、6月30日の29.6度。一度も30度台はなかったようです。最低気温は6月7日の14.6度。最低気温が20度を超えたのは9日だけでした。

    昨年はどうだったか?最高気温6月13日の31度。30度以上が4日ありました。最低気温は、6月1日の15.8度。20度を超えたのが18日。梅雨の期間の6月でも確実に気温は上がっているようです。大規模な地震が発生しなくても気温に殺されそうな気がします。

    今、大規模な地震が発生し電気が止まったとすると、エアコンが使えなくなり、室内にいる場合、窓開けるくらいしか手段は無いかと思うが、何時まで耐えられるのか自身は無いです。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    夏はこれから

    これから夏本番。これからもっと気温が上がっていくんですよね。

    昨年の8月。最高気温は、14日36.9度、30度以上が30日。1日だけ29度です。

    最低気温、25.7度。28度以上が11日。

    1990年はどうか?最高気温は、8日36.5度?昨年とあまり変わっていない?

    30度以上が30日。これも変化無。ただ、最高気温が28度以上は1日しかありませんでした。昼間の暑さは変わらないが、朝方や日が暮れれば、凌げられたのかもしれません。

    企業熱中症対策の義務化は以前書きましたが、働かなくなった高齢者等は自分で対策しなければなりません。地震対策の前に、まずは健康の維持が大事かもしれません。

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    老朽化

    2025年1月28日埼玉県八潮市で道路陥没事故が発生しました。当時の映像が放映されたのですが、突然道路に穴か開き、そこにトラックが吸い込まれて行くのには驚きました。

    また、その後穴がどんどん大きくなっていった事にも驚かされました。

    これは、地震とか何も発生していな、通常の状態で突然道路に穴か開く…。

    原因は、下水道管の老朽化だそうです。

    ドラックの運転手の方は亡くなられました。何の過失も無かったと思います。

    こういう場合、責任の所在は何処になるのか?消防等によ懸命な救助活動はありましたが、

    ご遺体収容は数か月後、ご冥福をお祈りする事しかできません。

    他にも被害が発生しています。

    陥没地点から半径200メートル以内の約200世帯に対して避難勧告。

    県が約2週間にわたり120万人に下水道利用の自粛。

    NTT東日本は、陥没事故により地中に埋まっているケーブルが断線したと発表。

    これによりインターネットや電話がおよそ1300回線、固定電話がおよそ300回線利用できない状態となったよいです。

    八潮市の件以外でも発生しているようです。

    下水道の老朽化対策の遅れにより、地震が無くても道路に穴が開くんです。現在の日本は。

    日経新聞によると、下水道は大小合わせて全国で全長50万㎞あるそうです。

    一般的に耐用年数は平均50年ほどだそうです。ただ、八潮市の道路陥没事故の原因となった下水道管は施設されたのが42年前ですから、施設された場所によって老朽化の違いはあるのでしょうか。で、国土交通省が全体の7%が使用から50年以上だそうです。

    50万㎞×7%=3万5千㎞が、陥没等の可能性また大規模な地震が発生した時に被害の発生の可能性が高いと言えるかもしれせん。また、40年以上が13%。八潮市の場合ここに該当するのでしょうか?50万㎞×13%=6万5千㎞これも八潮市の件を考えると心配な面があります。八潮市の件から下水道の安全性について対策進めるようですが、ここまで対策放置してきた人災的な面は否定できないと思います。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    老朽化は下水道だけでは無い。

    阪神淡路大震災でも、電気の復旧:6日、電話:14日、ガス:85日、上水:90日、下水:93日。30年前の地震でも下水の復旧に時間が掛かる事がわかると思います。

    ただ、老朽化は、下水道だけではないと思うんですよね。

    上水道は然り、橋とか堤防とか…。建物の耐震化が進んでいるようですが、通れなくなると救援にも行けない、物資も運べない…ちょと心配なんですよねぇ。

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。 あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    平時でも人は死ぬ

    まぁ、当たり前のことであるが、人は何時かは死ぬ。

    ただ、死の原因には変化があるようです。

    例えば交通事故。1970年交通事故の死亡者数(警察統計):16,765名。

    一日平均約49名が個通事故で亡くなった事になります。

    交通戦争とか言われてたか?ちなみにこの年、私も交通事故に遭いました。

    死にかけたそうです。私の事は別として、1970年の交通事故の死亡者数は

    いまでも一番交通事故死数だそうです。

    今どうなのか?昨年2024年の交通事故の死亡者数は、2,663名。

    一日平均約7名が個通事故で亡くなった事になります。

    約半世紀で、85%くらい年間の交通事故の死亡者が減ったことになります。

    法律の整備・救急体制・医療技術・道路整備・自動車の性能等、交通事故は人の力で減らす事ができると思います。

    逆に増加した死因。熱中症で亡くなった方は増加しているようです。

    朝日新聞の記事では、1980年代の10年間の熱中症死亡者の総計:580名

    年平均58名位が熱中症で亡くなっているようです。

    これが2015年~2024年の10年間では、12,475名が熱中症で亡くなっているようです。

    年平均1,248名位が熱中症で亡くなっている事になります。

    80年代と比較すると年平均21倍強増加しています。

    地球温暖化による気温の上昇が原因の一つのようですが、こればかりは一国でどうにかなるものでは無いような気もしますが、国が熱中症対策を義務化したのも分からんではないかと思う。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    平時って無くなってしまったかもしれない。

    熱中症に注意が必要になるには、気温25度、湿度70%以上からだそうで、

    別に炎天下って事では無いようです。十分、室内にいても発生する可能性は有る。

    高齢者や肥満の方は注意が必要らしいのですが、これから更に高齢化が進む日本。

    平時って無くなってしまったかもしれません。

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    熱中症

    私の実家には、クーラーがありませんでした。まぁ、貧乏だったからかもしれませんが、

    扇風機で何とかなってました。そう言えば、私の母校(高校)にはプールありませんでした。

    夏でも体育ではグランド走ってた記憶あります。私、体育系では無いですが倒れる様な事はありませんでした。地球温暖化叫ばれる前ですから、今よりも夏場の気温低かったのでしょう。その頃は、熱中症なんて言葉はまだ殆ど知られていなくて、日射病とか熱射病とか言ってましたかね。今では考えられないくらい暮らしやすかったんでしょうか?

    かなり前、あるお医者さんの講演を聞いたのですが、昔は道で行き倒れのような死亡は、

    冬場が多かったそうです。ヒートショックとかで、心筋梗塞や脳溢血とか。で、ある頃から、夏場に亡くなる方が増加してきたそうです。それで調べてみると、どうも熱中症らしいと。

    で、熱中症に注意しましょうってのが全国に広まったとか。

    大規模な地震が発生し、ライフラインは止まる。今までは、エアコン使えたのが使用できなくなる。この変化だけでも、かなりストレスが掛かり、肉体的にも夏場はきつくなると思います。(6月でも熱中症で亡くなられる方いるようですから。)日向に出ないとかこまめに水分補給するとか、中々これといった手は浮かびませんが、阪神淡路大震災時ではあまり注意する事が無かった事が、平時から身の危険を考えなければならない時代になっているようです。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    熱中症対策義務化

    2025年6月1日から(今日ですね。)、職場での熱中症対策が義務化されます。もし企業が対策を怠った場合は罰則があるようで、対象となる作業をおこなう企業は必ず対応しなければならなくなるそうです。

    熱中症対策は全ての企業で義務づけられるわけでは無いようで、一定の条件を満たす作業を実施する企業において、義務化のようです。また具体的な熱中症対策の内容などについては、以下のとおりです。

    対象となる作業は、WBGT(暑さ指数)28度以上または気温31度以上の環境で、連続1時間以上または1日4時間以上の実施が見込まれる作業だそうです。

    1 熱中症を生ずるおそれのある作業(※)を行う際に、

     ①「熱中症の自覚症状がある作業者」

     ②「熱中症のおそれがある作業者を見つけた者」

    がその旨を報告するための体制(連絡先や担当者)を事業場ごとにあらかじめ定め、関係作業者に対して周知すること

    2 熱中症を生ずるおそれのある作業(※)を行う際に、

     ①作業からの離脱

     ②身体の冷却

     ③必要に応じて医師の診察又は処置を受けさせること

     ④事業場における緊急連絡網、緊急搬送先の連絡先及び所在地等

    など、熱中症の症状の悪化を防止するために必要な措置に関する内容や実施手順を事業場ごとにあらかじめ定め、関係作業者に対して周知すること

    建設現場とかなら事前に判断できるでしょうけど、事前に該当するかどうか判断するの難しいケースがあるような気がします。

    もし企業が対策を怠った場合は、6カ月以下の拘禁刑または50万円以下の罰金が科される可能性があるようです。(可能性か?)

    流石に、国も動かざるを得ない状況になったようです。熱中症。

    つづく…。

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    ハミガキどうしてなのか?

    もう30年前なので記憶が無いのだが、両親は阪神淡路大震災で自宅が被災し住吉幼稚園に避難した。私は何回か避難所になっていた住吉幼稚園に物資背負って行ったのだが、何時も日帰りにしてました。避難あれている他の方の迷惑になる気がしてたので。

    で、そう言う場面を見ていないからなのだろうが、ハミガキどうしてたんだろう?

    災害時の口腔衛生は意外と重要で、長期間の避難所生活で偏った食事と満足にハミガキできない環境は、虫歯や歯周炎、口内炎、口臭などの口腔内の問題の生じやすくなります。

    口腔内を清潔に保たないと、子供においては、インフルエンザ等呼吸器疾患に罹患するリスクが上がります。また、高齢者の場合も同様に誤嚥性肺炎などの呼吸器感染症が増加する可能性が高まり、時には死に至る重篤な状態に及ぶこともあります。

    口の不健康は、体全体の健康にも影響するんです。

    今だから、こんな事言えるのですが、当時は全然知らんかった訳で、持っていった物資にも無かったかと思う。今後は注意しておきたいですね。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    災害時の口腔衛生は重要

    災害時の口腔衛生は以外と重要で、現在、避難時の持ち出し袋には入れておくべきモノになっていると思います。(水ハミガキとか水無くてもハミガキできるものもあるようです。)

    今後、南海トラフ地震災や首都直下地震等大規模地震が発生すれば避難民の多くは高齢者になってしまうと思います。口腔衛生対策をしていないと、誤嚥性肺炎などの呼吸器感染症が増加、災害関連死に繋がってしまうと思います。国も注意喚起をしています。

    令和5年 10月5日

    歯科口腔保健の推進に関する基本的事項の全部改正について

    厚生労働省医政局長名で発信されています。その中に下記の記載があります。

    災害発生時には、避難生活等において口腔内の清掃不良等によりリスクが高くなる誤嚥性

    肺炎の発症等の二次的な健康被害を予防することが重要であり、平時から国民や歯科口腔保健の関係者に対して、災害時における歯科口腔保健の重要性について普及啓発活動に努める必要がある。

    また、地方公共団体においては、大規模災害時に必要な歯科保健サービスを提供できる体

    制構築に平時から努める必要があり、災害時に対応できる歯科専門職や災害発生時の歯科保健活動ニーズを把握する人材の育成に努めるとともに、地域の職能団体等の関係団体と連携するように努めることとする。なお、大規模災害時の歯科口腔保健等に関する活動の指針等を策定する等の対応を行うことが望ましい。

    災害時の口腔衛生重要ですね。

    つづく…。

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    5月6日日経新聞

    第一面に、「備蓄ゼロの物資ある」6割

    南海トラフ想定自治体調査、主要8品目

    日経新聞がアンケートを実施。127市町村が回答。国公表の基準の基準に沿って救援物資が届くまでの目安とされる「発生からの3日間」の必要量を備えているかを調べたそうです。

    ありていに言えば、57自治体が全て確保に対し82自治体はいずれかの物資が0又は足りていない。指定避難所等行政が管理している避難所等での備蓄の事なのだと思います。

    私の両親が阪神淡路大震災時に近所の方々と避難してたのは、住吉幼稚園でした。(神戸市立でした。)ここは、指定避難所では無かった。多分、何も備蓄無かったのでしょう。

    幼稚園の教室に敷き詰められた布団は、各家庭が持ち込んだものだったのでしょう。

    阪神淡路大震災から30年、その後も中越地震や熊本地震、東日本大震災、昨年の能登半島地震がありましたが…。う~む、これはどうしてなのか?何時発生するか分からない地震に対する事に税金は使いにくいのか?備蓄する場所の問題なのか?それとも首長の判断なのか?今後起こるであろう南海トラフ地震の「公助」の現状…ちょっと日経新聞読んでみて心配になりました。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    あの頃の再現になってしまうのか?

    日経新聞の記事では大丈夫な自治体もあるのが分かったのは良かったと思いますが、(どこなのかの記載はなかったか?)そうで無い自治体、南海トラフ地震が発生したらどうなるのか?自宅に被害等がでて、避難上に辿り着いても何も無い…。雨露凌げるだけでも良いのかもしれませんが、30年前に私が阪神淡路大震災時に見た避難所と同じ光景が再現されてしまうのかもしれません。違うのは当時より高齢者が増えています。あの状況だと災害関連死が増えるのではないかと危惧します。南海トラフ地震での災害関連死の想定は、約2万6000~5万2000人と想定しているようです。 平成23年の東日本大震災や昨年の能登半島地震に基づき、避難者全体に占める関連死認定者数の割合から避難者1万人当たり40~80人として試算したそうですが、死者数の想定は29万8,000人。災害関連死は約1%?

    何か少なすぎるよいに感じるのは気のせいでしょうか?

    東日本大震災では、約2割が災害関連死でした。またその内、9割弱が66歳以上の方だったようです。熊本地震では亡くなられた方の約8割が災害関連死、能登半島地震でも実際に地震で亡くなられた方よりも災害関連死で亡くなられた方の方が多い。

    被害想定考えるなのて事私にはできないですが、何か間尺合わない気がします。

    ただ、自治体も被災するので、直ぐに多くを求めるのは酷な面はあると思います。

    まずは、「自助」で凌ぐ事を進めておく方が良いかもしれません。それなら直ぐにでもできますからね。

    つづく…。

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    避難所

    地震で家屋に被害があった場合、避難所に避難、暫くは避難所生活を余儀なくされるのだが、

    この避難所がどうも進化しているように思い得ないんですよね。

    何時発生するか分からない事に中々コストかけれないのかもしれませんが、こればっかっりは自助だけではどうしようも無い面があると思います。

    過去どれくらい避難所が開設されたのか?

    少し調べてみると

    阪神淡路大震災時被災1週間後で1,138ヵ所。避難所生活者:307,022人。

    単純計算307,022人÷1,138ヵ所=269.8人。1避難所に約270名が避難所生活をしていた事になる。

    阪神淡路大震災の9年後に発生した中越地震1週間後で527ヵ所。避難所生活者:76,615人。単純計算76,615人÷527ヵ所=234.3人。

    東日本大震災(岩手県・宮城県・福島県)1週間後で1,874ヵ所。避難所生活者:368,838人。単純計算368,838人÷1,874ヵ所=196.8人。東日本大震災は津波で亡くなられた方が多いので比較は難しいですがそれでも、1避難所に約200人が避難所生活を強いる事になった。建物の耐震化は進んいるようなので、避難所生活者は減るかもしれませんが、

    東日本大震災や今後発生するであろう南海トラフ地震では大きな津波の発生が想定されていますので、そうなると耐震化だけでは、どうにもならないケースは発生すると思います。

    私の両親も阪神淡路大震災時、近所の住吉幼稚園で暫く避難所生活してましたが、あの頃よりも確実に高齢化進んでますので、避難所生活が長引きば、避難所生活に耐えられず、災害関連死が増えるのではないかと危惧しています。(私ももうすぐ高齢者入りだし)

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    南海トラフ地震時の避難者

    前回、南海トラフ地震の被害想定について書きましたが、どれくらいの避難所が必要になるのか?

    想定避難者数:1230万人 1避難所当:200人としてみると。

    12,300,000人÷200人=61,500ヵ所!!これだけに避難者収容できる避難所開設できるのだろうか?津波も発生する。行政自体も被災する。そして被害の範囲があまりにも広すぎる。

    マンション居住で建物被害少ない人は、自宅避難になるのかと思うが、ライフラインが途絶えると、トイレすらままならなくなる。物資を届けてくれるなんて事も無いと思います。

    建物の耐震化ができているのであれば、大きな地震が発生しても大丈夫なように、ヘルメット、水、簡易トイレ、トイレットペーパー、懐中電灯等、ライフラインが途絶えても暫くは自宅避難生活ができる準備が必要だと思います。但し、孤立しないように、連絡手段や避難所の場所は事前に知っておいた方が良いと思います。救援物資は避難所にしか届かないでしょうから。

    つづく…。

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    南海トラフ地震の被害想定

    3月末に内閣府が、南海トラフ地震の新たな被害想定を公表しました。

    30年以内に80%程度の確率で発生するとされています。

    前回の被害想定の公表が、2012年~2013年頃のようです。

    前回と比較してみます。

    2013年       2025年

    死者           32.3万人      29.8万人(-2.5万人)

    全壊焼失建物       238.6万棟      235万棟(-3.6万棟)

    停電           2710万軒      2950万軒(+240万軒)

    避難者数         950万人      1230万人(+280万人)

    食料不足(3日分)    3200万食      1990万色(-1210万食)

    インフラ・建物への影響  169.5兆円     224.9兆円(+54.4兆円)

    災害関連死は、2万6千人~5万2千人を想定しているようです。

    あまりに被害が多き過ぎて、今一想像できません。

    太平洋側関東以西はほぼ被害が発生するようです。

    津波の発生も想定されています。

    1メートル以上の津波が沿岸に到達する最短時間は、静岡県で2分、和歌山県3分、高知県5分と見積もられているようです。東日本大震災時の津波到達は約15分らしいので。地震発生から津波発生までの時間は短いようです。もし、発生した場合、避難する時間はかなり短い地域がある事になります。

    う~む、こんな地震発生したら日本はどうなってしまうのだろうか?

    日本に住んでいる以上、覚悟はしておかなければならないのだが。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    平等は無い。

    これだけ被害の地域が大きいと、国にしても地方自治体にしても、満遍なく救助、支援は無理だと思います。救援に行ける人自体が足らなくなると思います。

    お役所の人は、住民に対し「平等」な扱いをしようとすると思いますが、誰かが(政治家?)がそれを止め、出来るところから、どんどん手をつけないと、助かるものもたすからなくなるのではと思ってしまいます。

    あくまでも私見ですが、死者の想定29.8万人に対して、災害関連死が2万6千人~5万2千人…何か少なく感じます。能登半島地震では災害死よりも災害関連死の方が多くなっています。多分、南海トラフ地震が発生しても避難所の状態は、それまでに発生した地震の時の時とほぼ同じ状況になるのではないかと思います。

    そうです、体育館での雑魚寝状態です。避難者は今までだれも経験した事が無いくらい多くなります。そして避難者も高齢者が多くなる。災害関連死は想定を大きく上回るのではないか?と思います。自宅避難ができた人でも、ライフラインが止まれば、今までの生活はできなくなります。生活の変化は、心身の健康への影響は大きいと思います。

    行政が平等に対応できない以上、そこは自分で埋めるしか無いと思います。

    厳しい事書いていると思います。

    ただ、これが日本に住むと言う事だとも思うのです。

    つづく…。

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    まだ危機は残っている

    30年前に阪神淡路大震災が発生しました。都市直下の大きな地震で大きな被害が発生したのですが、どうもまた発生する可能性があるようです。

    30年前に最大震度7の揺れを起こしたのは「六甲・淡路島断層帯」。主部は大阪府箕面市から淡路島北部へ続く「六甲山地南縁-淡路島東岸区間」(長さ約71㎞)と、「淡路島西岸区間」(同約23㎞)だそうです。

    地震本部によると、たまったエネルギーを阪神・淡路で大きく解放したのは、このうち淡路島西岸区間。北淡町(現・淡路市)の地表には西岸区間の一部である野島断層が現れ、地殻変動のすさまじさを示した。野島断層…何か記憶にあります。

    一方、六甲山地南縁-淡路島東岸区間の動きは西岸区間に比べて小さく、エネルギー解放は71㎞にわたる全域には及んでいないそうです。地震本部は「阪神・淡路での活動は、この区間で起こりうる規模の地震より一回り小さかった」としているそうです。

    あれで、一回り小さい?何かの間違いなら良いのですが…。

    六甲山地南縁-淡路島東岸区間の最新活動は16世紀と推定され、割れ残りの部分は400年以上活動していないそうです。そのため、今後30年間の地震発生確率を表す地震本部の長期評価は「やや高い」に相当する最大1%、M7・9と想定された。確率は数値としては低いが、危険度では2番目に高い「Aランク」に分類。ん?また発生するのか?

    活断層がある以上、何れ地震は発生するのでしょうが…活動期に入ったって事なのでしょうか?先般、南海トラフ地震の新たな被害想定が発表されましたが、阪神淡路の地震の被害想定は出ていないようです。う~む、どうなんだろうか?しかし、地震は予知できないよだし…。座して死を待つ気はないんですよね?

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    日本に住むと言う事

    日本の国土の面積は、約378,000㎢構成比は0.25%。で、この国でマグニチュード6.0以上の地震の約10%が発生しているそうです。また日本には活火山が111あります。これも世界の約10%だそうです。台風も毎年やってきますし、何か最近台風の規模大きくなった気もします。台風以外にも、線状降水帯なんて昔は聞いたことが無いような雨の降り方もあります。日本に住む以上、自然災害は何時何処で発生してもおかしくないんです。

    今迄、経験しなかったのなら、それは「運が良かった」だけかもしれません。

    日本に住む以上、災害対策「自助」は必然だと思います。

    つづく…。