• 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう29年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    その後の私

    地震発生時の事を一度両親に聞いた事があります。今となっては、もっと聞いておきたかったなと思うのですが、そうもいかんようになってしまいました。

    で、地震発生時なのですが、父親は既に起きていて、1階の四畳半の居間の炬燵で本を読んでいたそうです。そこに地震発生、食器棚とか本棚とか倒れてきたようなのですが、丁度父親の座っているところがエアポケットのような感じで何も倒れてこず、気が付くと倒てきたモノに囲まれて座っていたそうです。確かに会った時は怪我もなくピンピンしてたしなぁ…そんな事もあるんかと思いました。で、母親なんですが、2階で寝てたそうです。

    そこに地震、箪笥上部が倒れてきたそうです。ただ、母親が言うには「貧乏で良かったわぁ、箪笥の中空やったから軽くて何とかできた、服入っていたら危なかったわぁ。」まぁ、助かったから良かったのですが、貧乏が原因で助かったって…ちょっと複雑な心境になりました。地震が収まった後、1階の父親からの声が聞こえたそうで。「何でもええから履けるだけの靴下履いて降りてこい!」だったそうです。確かにあの室内で裸足は危険だったと思いますが、良く父親そんな事言ったなと感心しました。どうにか脱出して、近所の人と生き埋めになった人助けたって言ってました。確かに、実家の近隣では亡くなった方いなかった気がします。その後、近所の人と一緒に住吉幼稚園に避難したそうです。

    住吉幼稚園は指定の避難所では無かったのかもしれませんが、近所ではそう言う運用になっていたのでしょうか?

    明るくなり、皆一度家に戻ったそうです。そして幼稚園に戻って来た時には、皆片手に炊飯器持ってたそうです。生き残ったからの食糧だったと思います。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    まずは生き残る事

    地震後に実家に入ったのですが、靴を脱いで入れる状況ではありませんでした。

    両親、良く足怪我せず脱出できたと思います。

    割れた食器なんかあると危険です。

    体で最も守らなければならないのは、頭部だと思うのですが、頭部の次は脚だと思います。

    避難したくても動けなくなってしまいますから。

    先ずは、生き残る事を考える、行動することが大事だと思います。

    つづく…。

    現在、私の枕元にある、防災用スリッパです。

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日の話②

    阪神淡路大震災とは 

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。 

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。 

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。 

    あれから、もう29年も経過したんですね。 

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    その後の私 

    地震、長く感じた地震が収まりました。ベッドの中で、「今の何?これが地震?」まだ何か起こったのかよく理解できぬまま、とりあえずテレビつけてみました。ここで初めて近畿地区で何か大きな地震が発生したらしい事が理解できました。ただ、大きな地震など経験した事が無かったので、どのような被害が発生しているのかなんて、全く想像できませんでした。また、早朝に発生したため、報道機関も情報入手が困難だったのでしょうか、詳しい被害状況についてはまだ報道されていませんでした。 

    ここで覚えているのは、各地の震度が報道され始めたのですが、何故か神戸だけ震度が出ていませんでした。「あれ?なんで神戸だけ震度出ないんやろ?」不思議に思いながらテレビを見ていたら神戸の震度がでました。神戸震度6…「はぁ?震度6?やばい!!」私の実家は、神戸市東灘区の住吉ってところにありました。実家と言っても、築40年以上の木造の5軒長屋です。当時は両親だけが住んでいました。木造のボロ長屋、両親無事なんか?あれが地震に耐えられるんか?。私の心に暗雲が垂れ込め始めました。 

    電話 

    私は急いで、寮に1台だけある公衆電話に向かいました。当時はまだ携帯電話は、さほど普及しておらず、私も、両親ももっていませんでした。 

    実家に電話をかけてみました。 

    「トゥルルルルー、トゥルルルルー。」まだ回線がパンクする前だったのか、この時数回電話しましたが、電話は繋がりました。けど、誰も電話にはでませんでした。 

    「電話が鳴るっちゅーことは、電話は無事、でも何で誰もでーへんねん?」私の頭の中パニックになってきましたが、このあと回線がパンクしたのか電話は繋がらなくなりました。 

    両親は無事なんか?実家はいったいどないなっているのか?私の心の暗雲が更に広がっていきました。 

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    公衆電話 

    当時は、携帯電話が今の様に普及しておらず、固定電話、公衆電話が主流でした。 

    で、この公衆電話なんですが、これは「災害時優先電話」なんです。 

    輻輳(ふくそう)が発生しても繋がり易いんです。私の実家への電話が当初繋がったのも 

    回線が地震で切れなかったってのもありますが、公衆電話から掛けたことも電話が繋がった要因だったのかもしれません。 

    ※輻輳(ふくそう)交換機の一定時間内に処理できる能力を越える電話が集中することにより発生するいわゆる「電気通信網の渋滞」のこと。 

    公衆電話について少し注意しておきたいのが、 

    ・公衆電話は、停電しても使用できますが、その場合テレホンカードは使用できません。 

    使えるのは、小銭(10円・100円)だけです。ちなみに、100円ではおつりでません。 

    緊急時を考えると、少しくらい小銭は持っていた方が良いかもしれませんね。 

    ・公衆電話は停電しても小銭があれば使えるのですが、どうも電話機の小銭が貯まるところが小銭でいっぱいになると使用できないようです。(当時のわたしの経験です。) 

     今の子供たちは、公衆電話の使い方しらないらしいってニュース見た事があります。 

     公衆電話の使い方知ってて損は無いと思います。 

     つづく…。 

  • 震災備忘録

    震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    首都直下地震Ⅱ

    12月19日中央防災会議が、2013年の被害想定以降、12年ぶりに新たな被害想定を発表しました。詳細は、中央防災会議か新聞等で確認してもらいたいのですが、

              2013年    2025年   増減 

    死者        2.3万人    1.8万人   −1.5万人

    東京都だけでの死者数ではないのかもしれませんが、東京都の人口は約1,400万人

    2.3万人÷1,400万人=0.0016%。

    阪神淡路大震災時の神戸市の人口は約150万人死者数約4千5百人でした。

    4千5百人÷150万人=0.003%。

    人工辺りの死者数は、0.0016%÷0.003%=53.3%。阪神淡路大震災時の神戸の

    約半分強となる…。建物の耐震化率は大幅に向上し、木密地区も減少しても

    30年前の地震から死者数は半減しない?

    本当に死者は減るのか?ちょっと心配になって来ました。

    やはり油断は禁物のようです。ハード面が向上してだけでは、死者数の減少はこの程度しかできないって事でしょうか?いや逆に危なくなった事もある。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    高齢化

    東京都の1995年阪神淡路大震災時の人口は約1,160万人。その内65歳以上、所謂高齢人

    は、約149万人。比率では12.8%となる。

    2025年人口は約1,400万人。その内65歳以上、所謂高齢人は、約311万人。比率では22.2%

    となる。この30年で東京都の人口は約20%、240万人増加したが、高齢者人口は約2倍。

    約162万人増となっている。高齢化が進んでいるのである。

    阪神淡路大震災でも東日本大震災でも死者の多くが高齢者でした。

    これは、助けを求める方も、助けに行く方も、高齢者が多くなって行く事だと思います。

    自助と共助を高齢者同士でしなければならない場合もあるという事です。

    助け呼びたくても動けない、助けに行きたくても行けない…。災害弱者の増加。

    それでも、災害の備えをしていればかなり状況は変わると思います。

    寝室の家具の固定、水、トイレの確保等。

    平時の、未だ地震発生しない内に手を打てていれば助かる可能性は高まると思います。

    つづく…

  • 震災備忘録

    震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    首都直下地震

    12月19日中央防災会議が、2013年の被害想定以降、12年ぶりに新たな被害想定を発表しました。詳細は、中央防災会議か新聞等で確認してもらいたいのですが、

    大まかなところは

              2013年    2025年   増減 

    死者        2.3万人    1.8万人   −1.5万人

    全壊・倒壊建物   61万棟    40万棟     −35.6万棟

    避難者数      720万人   480万人    −240万人

    帰宅困難者     800万人   840万人   +40万人

    災害関連死     想定せず   4.1万人   +4.1万人

    阪神淡路大震災時の死亡要因は、77%が窒息・圧死、焼死・熱傷が9%と言われてますので多分、建物の耐震化が進み、木密地区も減少したので、建物の倒壊での死亡や火災での死亡者数は減少するのかなと思います。建物の耐震化率が79%(08年)から90%に高まっているそうなので、建物の被害は、阪神淡路大震災時より大幅に減少するのかと思います。建物は、です。

    ここから数回は、首都直下地震ネタでブログ書けそうです。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    揺れるのは建物だけでは無い。

    建物の耐震性は向上していますので、建物の倒壊リスクは軽減されている思いますが、

    建物の中、そう「部屋の中も揺れるんです。」阪神淡路大震災時の死因で、窒息・圧死と書

    きましたが、これ建物の倒壊だけでなく家具の下敷きになって亡くなった方もいるんです。

    建物の耐震化が進んで倒壊しないから大丈夫とは言えないんです。(新想定っでもこのことは死因として想定していると思いますが…。)部屋の中安全性を蔑ろにすると、例えタワマンでも亡くなる方はでます。家具の転倒防止が減殺・縮災のキーになると思います。

    私は、阪神淡路大震災時、私の実家は神戸市東灘区住吉だったので、気象庁の震度分布では震度7のエリアになります。築数十年の木造おんぼろ長屋が奇跡的の倒壊免れたのですが(危険度判定ではアウトでしたけど)私、震災後、実家に入ってます。部屋の中がどうなるのか?自分の目でみています。足の踏み場何てなかった。土足でないと無理でした。

    コロナ以後、テレワークが増加しています。

    地震大国日本の企業は、流石に地震対策を高じています。ある意味、会社にいた方が安全な気もしなくもない。テレワーク時に首都直下地震が発生したらどうなるのか?

    今回の被害想定で死者数が減少等、2013年の想定よりも被害が低く見えますが

    決してそれで、油断だけはしないように。

    つづく…

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    青森県東方沖の地震

    ここのところ火事のニュースが多かったのですが…。

    12月08日23時15分頃に青森県東方沖を震源(深さ54km、マグニチュード7.5、気象庁による暫定値)とする地震が発生し、青森県八戸市で震度6強を観測しました。

    一時、津波警報が発表されました。

    気象庁は、昨日8日に発生した青森県東方沖の地震について震源位置や規模を精査した結果、国の基本計画等に定められている後発地震への注意を促す情報を発表する基準を満たしていることから、9日午前2時に「北海道・三陸沖後発地震注意情報」を発表しました。この情報が発表されるのは、2022年12月の運用開始以来初めてだそうです。

    津波警報は出ましたが、津波は、そう大きなものは発生しなく、津波での被害はほぼ無かったようです。今回は震源が陸地に近かったせいか、揺れでの建物の被害が発生しています。

    日本海溝・千島海溝沿いの巨大地震の想定震源域内での、M7以上の地震が発生するとその後、それ以上の(M8級)の巨大地震の可能性があると。少し場所は離れていますが、

    1963年択捉島南東沖地震では、M7の地震発生約18時間後、M8.5の地震が発生したそうです。日本は地震については油断してはならない国のようです。

    ここからは、科学的根拠は全く無い、ど素人の考えてとして読んでほしいのですが、

    今回の地震で津波警報がでました。最大3ⅿだったか?そんな大津波発生しなくてよかったと思うのですが、東日本大震災と比較すると、そこまでの津波は?って感じです。

    東日本大震災は、宮城県牡鹿半島沖の東南東沖130㎞、深さ24㎞。M9.0。震源域は広大で、岩手県沖 – 茨城県沖までの南北約500km、東西約200kmの約10万km2に及んだそうです。最大震度は宮城県栗原市で観測された震度7で、宮城・福島・茨城・栃木の4県36市町村と仙台市内の1区で震度6強、東京・横浜で震度5強を観測した。

    日本から100㎞以上離れた海底の浅いところで、広範囲で地面が動いた。で、広範囲で津波が発生した。

    今回の地震なのだが。青森県東方沖で約80km、深さ50㎞。陸地からの距離は東日本大震災に比べるとかなり近い。震源は深い。陸地からの距離の近い、そして震源が深い。

    大きな津波を発生するだけの海面に影響を与えられたのか?と結果的に陸地に近いところで発生したので、津波では無く揺れによる被害は発生したのではないかとど素人は思うところです。あくまでも、ど素人の考えなので、信じないでね。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    天災は忘れたころにやって来る

    さて、今回は、津波は免れたかっこになったのですが、震源分布を見ると、段々と東に広がっているそうです。東に行くほど浅くなるようで、一連の地震はプレート境界で発生していることになるそうです。震源の位置は点で表現されますが、実際は面的に広がっていて、今回の場合は震源域が東側に広がっていたと考えられます。

     東…そう今より沖で、更に浅いところで次は地震が発生する可能性があります。

    そうなると、次は…大きな津波の発生の可能性は高まるのかなと。

    天災は忘れた頃にやって来る…忘れないように。

    つづく…

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    火事

    私自身、実際火事に遭遇した事は無い。

    消防署で消火器の使い方や救急救命の講習を受けたが、今のところそれが役にたった場面

    に遭遇した事は無い。

    地震には数回遭遇しているのだが…。

    先般、大分で大規模な火災が発生しました。

    木造住宅の密集地帯(空家も多かったそうです。):可燃物は多くあった。

    当日は、強風注意報でれる位、風が強かった。:酸素供給が十分だった。

    消防車が通れない細い道が多く、且つ背後が山で山側からの消火ができなかった。

    火元の位置はだいたい特定されているようですが、火が出た原因は不明。

    様々な要因が重なったようです。

    首都直下地震でも木造住宅の密集地帯での火災が危惧されています。

    不断の火の始末は重要だと思います。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    火災は自助

    他の国のことは分かりませんが、日本では火災保険の加入率は内閣府のデータでは82%。

    まぁ、実際に住んでいる家屋はほぼ加入しているのでしょうか?

    と、言うのももし不注意により自宅で火事を起こしてしまい、延焼により近隣の住宅に損害を与えたとしても、失火原因に重大な過失が認められない限り、原則として損害賠償責任を負うことは無いからです。

    失火責任法(失火法)は、正式には「失火ノ責任ニ関スル法律」と言う法律があります。

    明治32年に制定された、ごく短い1条の法律です。

    全文は「民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過

    アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス」で、つまり「失火による火災で他人の権利を害する行為は

    重大な過失を除き、民法709条の定める不法行為には該当しない」と定めています。

    「民法709条の定める不法行為」法律上の損害賠償責任が伴う違法行為のことです。

    失火責任法では、法律上の不法行為にあたるはずの失火であっても、重度の過失でない限

    はその責任を問われないんです。

    明治時代に制定された法律なので社会環境が現在と違うと思いますが、当時は今と比べる

    と木造住宅が多かった。大分の例では無いが、木造住宅の密集地帯もあったでしょう。

    で、そこで火災は起こしてしまったらどうなるか?へたすると町全部延焼なんて可能性も

    ある。それを、火災を起こしてしまったひとが全て損害賠償できるのか?ってなると、まぁ

    無理です。で、火災についてはこのような法律が制定されたわけです。

    火災については原則、自助ってわけです。

    まぁ、それでも重大な過失場合は、賠償責任があるようで、判例では

    ・石油ストーブの火をつけたまま、カートリッジタンクに給油した上、タンクの蓋を閉めずに収納しようとして石油が漏れ、ストーブの火が着火して出火した事例

    ・寝たばこの危険性を十分認識しながら、何の対応策も講じず、漫然と喫煙を続け、眠ってしまい出火した事例

    ・台所のガスコンロにてんぷら油の入った鍋をかけたまま台所を離れたため、てんぷら油が過熱し出火した事例

    何れの判例も、失火した人が故意に火災を起こしたわけではないにしても、いつ火災にな

    てもおかしくない状況だと判断されたのかなと。

    そう言う状況は作らないようにしたいものです。

    つづく…

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    人間は忘れる生き物である

    日本は地震大国のはずであるが、喉元過ぎるのが早いようで、これから大規模地震の発生が逼迫してる中で、防災予算削減する自治体もあるようで…多分大規模地震が発生したら、

    「想定外でした。」って言うんだろうなぁなんて思ってしまうのだが、

    「想定外」は東日本大震災以降は、あり得ないと思うのだが、どうなんだろうか?

    例えば、昭和以降の三陸地方での大規模地震(抜粋)であるが

    ・昭和8年3月3日 昭和三陸地震大津波が発生し、死者・行方不明者3,064人。

    ・昭和8年6月19日 宮城県沖で地震:津波は無かった?

    ・昭和11年11月3日宮城沖地震小津波あり。

    ・昭和13年11月5日 – 7日福島県東方沖地震東北から関東に津波。

    ・昭和27年3月4日十勝沖地震北海道から東北に津波

    ・昭和35年5月23日チリ地震津波三陸海岸6.4ⅿの津波等。大船渡市53名死亡等

     地震は無いが津波で大きな被害が発生した。

    ・昭和37年4月30日宮城県北部地震:津波は無かった?

    ・昭和38年10月13日択捉島沖地震択捉島から宮城県までで津波を観測。

    ・昭和43年5月16日十勝沖地震三陸沿岸で5mの津波。死者・行方不明者52人。三陸沖北部の固有地震

    ・昭和53年6月12日 宮城県沖地震津波あり

    ・昭和56年1月19日 三陸沖で地震:津波は無かった?

    ・平成元年11月2日 三陸沖で地震久慈で1.3mの津波を観測

    ・平成6年12月28日 三陸はるか沖地震:津波は無かった?

    ・平成15年5月26日 宮城県沖で地震:津波は無かった?

    ・平成15年7月26日 宮城県北部地震:津波は無かった?

    ・平成17年8月16日 宮城県沖で地震:津波は無かった?

    ・平成17年11月15日 三陸沖で地震。大船渡市で最大50cmの津波観測。

    ・平成20年7月24日 岩手県沿岸北部で地震:津波は無かった?

    ・平成23年3月9日 三陸沖で地震大船渡市で最大55cmの津波観測。

    ・平成23年3月11日東日本大震災

    これを見る限り、昭和8年昭和三陸地震大津波と昭和35年チリ地震津波が東日本大震災以前の三陸地方での津波での大きな被害の例となると思うのだが、それぞれ92年前、65年前、その間地震は発生してる、結構大きな地震も。しかし、津波での被害は少なかった、否、津波自体発生しなかった大きな地震は発生していた。

    地震と津波との関係性が薄くなった?結果忘れてしまった?

    大きな津波を経験した人が少なくなった結果、伝承が途切れ忘れてしまった?

    だから「津波てんでんこ」が伝承されてた地方は生き残る術を覚えていた?

    人間は忘れる生き物であると思うんです。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    忘れている暇はもうないのかもしれない。

    能登半島地震から、もうすぐ2年になろうとしている。

    たった2年である。しかし、もはや記憶の片隅にある程度の人が多いのではいか?

    しかし、南海トラフ地震、首都直下地震等何時発生してもおかしくない、日本は地震活動期に入ったのではないかと思います。

    「生き残る」ためには、過去の教訓を忘れている暇はもうないのかもしれません。

    過去に大規模地震等で亡くなった方々の為にも、皆で生き残りましょう。

    つづく…

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    防災気象情報

    11月12日の新聞報道ですが、防災気象情報が来年の梅雨期から変わるようです。

    気象庁は、大雨など4つの警報や注意報などの防災気象情報について、新たに5段階にレベル分けで発表し、「危険警報」を新設するそうです。

    気象庁などは、これまでの警報や注意報などの「防災気象情報」は「複雑でわかりにくい」と指摘を受け、3年前から有識者による検討会を行い、見直しを進めていたようです。

    3年もかかったんや…ってのが正直な感想です。

    「大雨」「河川氾濫」「土砂災害」「高潮」の4つの災害について、新しく5段階のレベルに分けて発表することとなるそうです。

    レベル5の「特別警報」とレベル3の「警報」の間に、レベル4の「危険警報」が新設され、河川氾濫の特別警報も新設されるそうです。

    河川管理者が都道府県などに連絡し、さらに情報を気象庁に提供することで、河川氾濫の特別警報を発表するということです。河川は流石に現地の情報が必要なのでしょう。

    「氾濫」に関する情報については当面、全国にある400余りの「洪水予報河川」に指定された大きな河川を対象にして発表するとしています。最近では豪雨で中小河川の氾濫をニュースで見たような気がするのですが、気のせいでしょうか?400に指定されなかった河川が気になったりします。

    また、警報級の気象現象が5日先までに予想されるときに発表するレベル1の「早期注意情報」も発表とのこと。土砂災害と高潮も5段階レベルで示され、土砂災害はこれまでレベル4の「土砂災害警戒情報」が発表されていますが、「危険警報」に変わるとの事。

    高潮は「高潮特別警報」と「高潮警報」が両方ともレベル4で発表されていますが、レベル4の「危険警報」が新設されるため、5段階で示すとの事。

    全て1~5レベルになるって事で、レベル1:災害への心構えを高める

    レベル2:避難行動を確認(避難場所や避難ルート、避難のタイミング等)

    レベル3:避難に時間を要する人は早めに避難・避難の準備等

    レベル4:危険な場所から全員避難

    レベル5:警戒レベル 命の危険直ちに安全確保

    この5レベルで情報が発信されるそうです。

    豪雨災害、私が子供の頃は台風くらいしか無かったと思うのですが、現在は台風で無くても

    線状降水帯が発生したりと豪雨による災害が発生しています。

    地球温暖化の影響なのでしょうか?

    災害の種類が増えた感じがします。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    防災気象情報が発表されるって事は…

    気象情報はある程度正確に予想できる。そこが地震災害との違いかと思います。

    地震は何時発生するか分かりませんが、気象情報はある程度事前に災害の発生が予測できる。ただ、豪雨災害も経験して事の無い人が多い。地震が発生したらどうするか?

    日本なら学校でも防災訓練やっているので、なんとなくでも理解してる。

    豪雨災害についてはどうか?

    防災気象情報の周知と、「その時どうすべきか?」の教育が必要ではと思います。

    つづく…

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    上下水道以外にも老朽化は進んでいる

    上下水道の老朽化については過去に書いてたと思います。

    実際、地震等発生してないのに、突然道路陥没で死者が発生したなんて事起こってますからね。老朽化している事自体が行政も知ってはいたのだと思いますが、「大丈夫だろう」って思い込みが、惨事を引き起こしたのかもしれません。

    で、老朽化は他にも進んでいるようで、10月28日の新聞報道ですが、信号機の老朽化が進んでいるとの事。信号機の経年劣化による障害が、24年度は910件発生していたようです。

    警察庁は、信号機の更新基準を製造から概ね19年と規定しているようです。で、24年度末の信号機の数が全国で20万3910機あるそうで、その内製造後19年を超えているのが5万1302機…まぁ4機中1機が更新基準を超えている事になる。

    更新費用は、1機140万円くらいだそうで、原則各都道府県警の予算が割り当てられる。

    各県警の予算もあるのでしょうが。老朽化率が最も高いのが、奈良県…44.0%。

    老朽化3割以上の都道府県は11あるそうです。つまり、信号機の更新を進めている都道府県とそうでない都道府県がある事になる…。なんだこれ?

    で、ここまでの老朽化の話はあくまでも、信号機の話ね。

    もう一つ心配しなければならないのは、その信号機を支える柱。この柱には更新基準が無いようなんです。当然、信号機より新しいって事は想像しにくい。実際、倒壊の事例もあるようです。

    日本は人だけではなく設備も高齢化で、そのまんまってのが多いようです。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    平時にしておく事はある。

    何か起こってからでは、手遅れになる事はあると思います。

    老朽化した信号機の柱、大規模地震が発生した時、倒壊の危険性は高いと思います。

    道路を塞ぐ、車両が通行できなくなる。撤去できたとしも、警察官管が手信号で誘導しないと通行が困難な道路もあるでしょう。信号機が復旧するまで24時間…。

    人口減少しているので、今となっては必要性が低くなった信号機はあるのかもしれませんが、交通量の多い道路は送球に改善して欲しいものです。

    何か起こる前に、平時にしておく事は、多いと思います。

    つづく…

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    公助

    2025年5月28日、改正災害対策基本法及び改正災害救助法が成立しました。

    施行は7月1日です。改正の趣旨を内閣府の資料によると、

    令和6年能登半島地震の教訓等を踏まえ、災害対策の強化を図るため、国による支援体

    制の強化、福祉的支援等の充実、広域避難の円滑化、ボランティア団体との連携、防災DX・

    備蓄の推進、インフラ復旧・復興の迅速化等について、以下の措置を講ずる事だそうです。

    • 国による災害対応の強化

    1)国による地方公共団体に対する支援体制の強化

    ・国は、地方公共団体に対する応援組織体制を整備・強化。

    ・国は、地方公共団体からの要請を待たず、先手で支援。

    2)司令塔として内閣府に「防災監」を設置 国による応援組織の

    ②被災者支援の充実

    1)被災者に対する福祉的支援等の充実

    ・高齢者等の要配慮者、在宅避難者など多様な支援ニーズに対応するため、災害救助法の救助の種類に「福祉サービスの提供」を追加し、福祉関係者との連携を強化。災害対策基本法においても「福祉サービスの提供」を明記。

    ・支援につなげるための被災者、避難所の状況の把握。車中泊への対応

    2)広域避難の円滑化

    高齢者等への対応

    ・広域避難における、避難元及び避難先市町村間の情報連携の推進。

    ・広域避難者に対する情報提供の充実。

    ・市町村が作成する被災者台帳について、都道府県による支援を明確化。

    3)「被災者援護協力団体」の登録制度の創設

    ・避難所の運営支援、炊き出し、被災家屋の片付け等の被災者援護に協力するNPO・ボランティア団体等について、国の登録制度を創設。

    ・登録被災者援護協力団体は、市町村から、被災者等の情報の提供を受けることができる。

    ・都道府県は、災害救助法が適用された場合、登録団体を救助業務に協力させることができ、この場合において実費を支弁。

    ・国は、必要な場合、登録団体に協力を求めることができる。国民のボランティア活動の参加を促進。

    4)防災DX・備蓄の推進

    ・被災者支援等に当たって、デジタル技術の活用。

    ・地方公共団体は、年一回、備蓄状況を公表

    ③インフラ復旧・復興の迅速化

    1)水道復旧の迅速化

    ・日本下水道事業団の業務として、地方公共団体との協定に基づく水道復旧工事を追加。また、水道事業者による水道本管復旧のための土地の立入り等を可能とする

    2)宅地の耐震化(液状化対策)の推進

    3)まちの復興拠点整備のための都市計画の特例

    はやり、能登半島地震での避難所の有体を見ると、流石に30年前に阪神淡路大震災時と変わらない体育館等での雑魚寝状態。また、高齢の避難者の増加、災害関連死の増加には国も手を打たねばと思ったのでしょう。総理が石破さんだったからでしょうか?

    今後、どういうスピードで達成されていくのか見ていきたいと思います。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    行政も被災する

    法律が改正され施行されましたが、かと言って、大規模地震が発生した時に、直ぐに

    公助を得られる訳ではないと思います。

    行政も被災するんです。

    公務員さん、警察官、消防士、自衛官の方も同じ地域に住んでいれば、家族含め被災するんです。公助したくても、できない状況になる事は、認識しておいた方が良いと思います。

    だからこそ、先ず、「自分の生命は自分で守る自助が重要になると思います。

    確かに、全ての住民には無理かもしれません。しかし、一人でも助かれば、その人は他の人を助ける事ができる。共助です。

    災害発生後の72時間は「黄金の72時間」と呼ばれ、人命救助のタイムリミットと言われています。72時間生き残る事ができれば、公助を受けられるくらいに思っておいた方が良いと思います。助ける方も、被災してるんですからね。

    つづく…

  • 震災備忘録

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    上水道老朽化

    ちょっと前、9月26日の新聞報道なのですが、上水道の老朽化による事故が発生しているようです。京都の中心部で道路冠水事故。水道管の破損が原因で周辺地域に車の浸水や水道水が濁る等影響が出たそうです。この水道管は設置が1959年。設置から60年以上経過していたそうです。特に大きな地震等無くても、老朽化でライフラインが止まる事があるようです。日本全国で上水道の老朽化が進行しており、2025年6月現在、全国の水道管の約2割、17.6万kmが法定耐用年数の40年を超えているそうです。京都の例は60年以上経過なので、これは法定耐用年数超えてたって事なのでしょうか?多くの水道管は昭和30〜40年代に整備されたものであり、更新率は年間わずか約0.65%と低く、このままでは全ての管路を交換するのに130年以上かかるとされているそうです。南海トラフ地震地震や首都直下地震に間に合わない可能性がありそうです。

    国交省は、災害時の避難・救助や物資供給の主要ルートとなる緊急輸送道路(緊急道)下は5年を目途に優先的に更新するそうです。

    とは言うものの。水道事業は自治体単位で行われ、料金収入で維持管理や改修の経費を賄うのが原則だそうです。ただ、人口減少による料金収入の低下や資材価格の高騰など費用面が壁となり、更新が滞る自治体も少なくないそうです。

    計画倒れにならなければ良いのですがねぇ…。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    「水」

    水は必要であるが、それは「生きている」のが前提の話。

    大規模地震が発生した時は、まず「生き残る」ことを優先しなければならないと思います。

    「自助」です。自分が助からないと、他人を助けることは困難だと思います。

    で、助かった時に必要になうのが「水」です。

    上水道の老朽化がライフラインの復旧に影響を与える…想定以上に復旧に時間が掛かる?

    「水」は非常時で無くても手に入れる準備はしておいた方が良いかもしれませんね。

    そう言えば、新総理の初心表明演説に防災の事無かったような…気のせいですかね?

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    宝の持ち腐れ

    10月3日の新聞報道ですが、

    陸自の災害用ドローン40機、申請不備で5年使用できず 検査院指摘だったそうです。

    陸上自衛隊が災害時の情報収集などに用いるドローン40機について、国に申請する周波数を誤認していたために約5年間にわたって使用できない状態になっていたことが2日、会計検査院の調べで分かったそうです。んっ?5年間テスト等でも使って無かったって事でしょうか?

    無線通信で飛ばすドローンは周波数によって制御されるそうです。陸自が災害時に地上から近づくのが難しい被災地の状況把握などに使用する目的で2020年3月に計7480万円で調達する契約をした機体は、国に周波数の申請が必要なタイプだった。

    だが周波数を誤認して届け出たために、承認されても災害時に対応できない状態だったと。

    やっぱり、5年間この40機一度も動かしてなかったのでしょうか?

    検査院の指摘を受けた陸上幕僚監部は今年7月に必要な手続きを完了させたものの、全機を使用できるようになるまで20年7〜8月の配備から約5年かかった。

    検査院は問題が起きた原因として、周波数の情報を記載した書類を納入業者から確実に受け取るようにしていなかった点にあると指摘。陸幕はドローンを調達する際の仕様書の記載要領を改正し、関係部署に周知した…。ドクタースランプアラレちゃんの初回。

    「博士!飛べません!!」は困るのだが…。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    他山の石

    地震等災害対策で色々備蓄していると思いますが、それは「有事に使える状態なのでしょうか?」例えば、ヘルメットなのですが、防災用ヘルメットの耐久年数は6年とされているものが多いようです。見た目では分からなくても、ヘルメットに使用されている樹脂が劣化するそうです。私も、買い替え時期過ぎてました。反省。

    食料や水の備蓄も消費期限チェックしてるでしょうか?

    わが身に置き換えてみれば、自身反省する事を痛感する記事となりました。

    つづく…