• 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう29年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    その後の私

    地震発生時の事を一度両親に聞いた事があります。今となっては、もっと聞いておきたかったなと思うのですが、そうもいかんようになってしまいました。

    で、地震発生時なのですが、父親は既に起きていて、1階の四畳半の居間の炬燵で本を読んでいたそうです。そこに地震発生、食器棚とか本棚とか倒れてきたようなのですが、丁度父親の座っているところがエアポケットのような感じで何も倒れてこず、気が付くと倒てきたモノに囲まれて座っていたそうです。確かに会った時は怪我もなくピンピンしてたしなぁ…そんな事もあるんかと思いました。で、母親なんですが、2階で寝てたそうです。

    そこに地震、箪笥上部が倒れてきたそうです。ただ、母親が言うには「貧乏で良かったわぁ、箪笥の中空やったから軽くて何とかできた、服入っていたら危なかったわぁ。」まぁ、助かったから良かったのですが、貧乏が原因で助かったって…ちょっと複雑な心境になりました。地震が収まった後、1階の父親からの声が聞こえたそうで。「何でもええから履けるだけの靴下履いて降りてこい!」だったそうです。確かにあの室内で裸足は危険だったと思いますが、良く父親そんな事言ったなと感心しました。どうにか脱出して、近所の人と生き埋めになった人助けたって言ってました。確かに、実家の近隣では亡くなった方いなかった気がします。その後、近所の人と一緒に住吉幼稚園に避難したそうです。

    住吉幼稚園は指定の避難所では無かったのかもしれませんが、近所ではそう言う運用になっていたのでしょうか?

    明るくなり、皆一度家に戻ったそうです。そして幼稚園に戻って来た時には、皆片手に炊飯器持ってたそうです。生き残ったからの食糧だったと思います。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    まずは生き残る事

    地震後に実家に入ったのですが、靴を脱いで入れる状況ではありませんでした。

    両親、良く足怪我せず脱出できたと思います。

    割れた食器なんかあると危険です。

    体で最も守らなければならないのは、頭部だと思うのですが、頭部の次は脚だと思います。

    避難したくても動けなくなってしまいますから。

    先ずは、生き残る事を考える、行動することが大事だと思います。

    つづく…。

    現在、私の枕元にある、防災用スリッパです。

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日の話②

    阪神淡路大震災とは 

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。 

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。 

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。 

    あれから、もう29年も経過したんですね。 

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    その後の私 

    地震、長く感じた地震が収まりました。ベッドの中で、「今の何?これが地震?」まだ何か起こったのかよく理解できぬまま、とりあえずテレビつけてみました。ここで初めて近畿地区で何か大きな地震が発生したらしい事が理解できました。ただ、大きな地震など経験した事が無かったので、どのような被害が発生しているのかなんて、全く想像できませんでした。また、早朝に発生したため、報道機関も情報入手が困難だったのでしょうか、詳しい被害状況についてはまだ報道されていませんでした。 

    ここで覚えているのは、各地の震度が報道され始めたのですが、何故か神戸だけ震度が出ていませんでした。「あれ?なんで神戸だけ震度出ないんやろ?」不思議に思いながらテレビを見ていたら神戸の震度がでました。神戸震度6…「はぁ?震度6?やばい!!」私の実家は、神戸市東灘区の住吉ってところにありました。実家と言っても、築40年以上の木造の5軒長屋です。当時は両親だけが住んでいました。木造のボロ長屋、両親無事なんか?あれが地震に耐えられるんか?。私の心に暗雲が垂れ込め始めました。 

    電話 

    私は急いで、寮に1台だけある公衆電話に向かいました。当時はまだ携帯電話は、さほど普及しておらず、私も、両親ももっていませんでした。 

    実家に電話をかけてみました。 

    「トゥルルルルー、トゥルルルルー。」まだ回線がパンクする前だったのか、この時数回電話しましたが、電話は繋がりました。けど、誰も電話にはでませんでした。 

    「電話が鳴るっちゅーことは、電話は無事、でも何で誰もでーへんねん?」私の頭の中パニックになってきましたが、このあと回線がパンクしたのか電話は繋がらなくなりました。 

    両親は無事なんか?実家はいったいどないなっているのか?私の心の暗雲が更に広がっていきました。 

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    公衆電話 

    当時は、携帯電話が今の様に普及しておらず、固定電話、公衆電話が主流でした。 

    で、この公衆電話なんですが、これは「災害時優先電話」なんです。 

    輻輳(ふくそう)が発生しても繋がり易いんです。私の実家への電話が当初繋がったのも 

    回線が地震で切れなかったってのもありますが、公衆電話から掛けたことも電話が繋がった要因だったのかもしれません。 

    ※輻輳(ふくそう)交換機の一定時間内に処理できる能力を越える電話が集中することにより発生するいわゆる「電気通信網の渋滞」のこと。 

    公衆電話について少し注意しておきたいのが、 

    ・公衆電話は、停電しても使用できますが、その場合テレホンカードは使用できません。 

    使えるのは、小銭(10円・100円)だけです。ちなみに、100円ではおつりでません。 

    緊急時を考えると、少しくらい小銭は持っていた方が良いかもしれませんね。 

    ・公衆電話は停電しても小銭があれば使えるのですが、どうも電話機の小銭が貯まるところが小銭でいっぱいになると使用できないようです。(当時のわたしの経験です。) 

     今の子供たちは、公衆電話の使い方しらないらしいってニュース見た事があります。 

     公衆電話の使い方知ってて損は無いと思います。 

     つづく…。 

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    活火山も多い日本

    どうも、活火山の数も日本は多いようです。

    気象庁ちょうによると、「活火山」とは、およそ過去1万年以内に噴火ふんかした火山や現在も活発な活動のある火山を言うそうです。今活発に煙をあげている火山はもちろん「活火山」ですが、過去の長い間活動がなくとも将来しょうらいに噴火ふんかの可能性がある火山も「活火山」だそうです。で、その数が111。世界の活火山の約7%になるそうです。

    桜島や霧島山(新燃岳)のように現在噴火している火山もあれば、318年間噴火していないのですが、活火山とされている火山があります。そう、富士山です。

    全ては調べていませんが、過去の富士山の噴火は、

    800年〜802年(延暦19年):延暦大噴火

    864年(貞観6年):貞観大噴火

    1707年(宝永4年):宝永大噴火

    1854年 (嘉永7年・安政元年)安政東海地震時に8合目付近に多数の火が上がる様が眺められたそうです。宝永大噴火後、富士山では大規模な火山活動はなかったようですが、江戸時代晩期から、昭和中期にかけて、山頂火口南東縁の荒巻と呼ばれる場所を中心に噴気活動はあったようです。この活動は1854年の安政東海地震をきっかけに始まったと言われており、明治、大正、昭和中期に掛けての期間、荒巻を中心とした一帯で明白な噴気活動があったことが、測候所の記録や登山客の証言として残されている。

    富士山がつい近年まで噴気という火山活動の諸形態の一つを続けていたんですね。富士山は死んだわけでは無く現在も息づいている活火山なんです。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    新たな被害想定

    今年8月26日内閣府は火山災害について知ってもらおうと、富士山の噴火を想定した映像を作成しました。もし富士山で大規模噴火が発生したらどのようなことが起こるのか?

    富士山で大規模な噴火が発生した場合、無数の大きな噴石が飛ばされるほか、溶岩流や時速100キロを超える火砕流、積雪時には融雪型火山泥流が発生すると想定されてるようです。

    そして「降灰」。風向きによって富士山から約100キロ離れた東京都新宿区でも細かな火山灰が降り、2日後には5センチ以上に達するそうです。

    灰に雨が降ると水を吸って重くなり、木造家屋が倒壊する可能性がある。

    3センチ以上降り積もると車は通行不能。

    電車もわずかな降灰で通電不良を起こして運行できなくなる。

    人の移動、物資の輸送に大きな影響が出るようです。

    ほかにも断水・停電が発生し、噴火から15日目、降灰の影響は首都圏全域に及ぶと想定されているようです。

    何か、ここに来て、南海トラフ地震の新たな被害想定、そして富士山の噴火の被害想定がだされています。日本に地の底で何か起こっているんでしょうか?

    ちょっと気になるんですよねぇ?

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    暑い…。

    今、これ書いてるのですが、外の気温は37度くらいか?

    いや、アスファルトの上ならもっと暑いか?しかし、体温より暑いとは…。

    暑さに関する用語に3つ程あります。

    夏日:最高気温が25度以上の日

    真夏日:最高気温が30度以上の日

    猛暑日:最高気温が35度以上の日

    真夏日と猛暑日が1か所でも観測された日を、阪神淡路大震災のあった1995年と昨年2024年の5月~10月の記録を気象庁のデータで比較してみたい

          5月            6月              7月

         真夏日・猛暑日  真夏日・猛暑日 真夏日・猛暑日

    1995年  16   0    22   1    31   20

    2024年  21   0    28   7    31   31

          8月           9月                10月

         真夏日・猛暑日  真夏日・猛暑日 真夏日・猛暑日

    1995年  31   30    29   5   14   0

    2024年  31   30    30   21   31   0

    これを見る限り残暑が厳しきなっているように思います。

    (最高気温、平均気温調べればもっと差があるかもしれませんが、何れ)

    これは秋が短くなったと言うことなのでしょうか?

    これも気候変動の影響なのでしょうが、人命に影響する暑さなんです。

    そう、熱中症です。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    暑さは災害級?

    熱中症は体から熱が放出されにくくなることで体温が上がったり、汗をかきすぎて体内から水分が奪われたりすることで起こり、時は生命にもかかわる。

    熱中症による死亡者ですが、厚生労働省のデータでは、

    1995年:318名 2000年:207名 2005年:328名 2010年1731名 2011年:948名

    2012年:727名 2013年:1017名 2014年:529名 2015年:970名 

    2016年:621名 2017年:635名 2018年:1581名 2019年:1224名 

    2020年:1528名 2021年:755名 2022年:1477名 2023年:1651名

    2024年:2033名

    30年前に比べると6倍以上の方が熱中症で亡くなられた事になります。

    それも高齢者が多いようですので、今後さらに高齢化が進んでいきます。

    地震や台風だけでなく、熱中症対策も必須になったようです。日本は。

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    災害では無いのだが…②

    8月13日午後9時半頃、大阪メトロ中央線電気系統のトラブルにより一時、全線の運転を見合わせた。これが影響して大阪万博では約3万人の帰宅困難者が発生しました。

    日本国際博覧会協会(万博協会)は22日、13日夜に起きた大阪メトロ中央線の運転見合わせで、大阪・関西万博会場の夢洲(ゆめしま)(大阪市此花区)に足止めされたのは約3万8000人だったとの推計を明らかにした。このうち、会場で一夜を過ごしたのは約1万1000人だった。万博協会は14日午前0時時点では、会場一帯に約3万2000人が滞留していたとの推計も明らかにした。約2万人は午前0時以降に帰れたって事なのでしょうか?

    確かに13日午後10時10分ごろ、大阪・関西万博会場に直結の夢洲駅と、隣接するコスモスクエア駅の間で運転を再開している。運転見合わせから約40分後である。

    コスモスクエア駅まで行けば大阪湾岸を迂回して市南部に出る新交通システム「ニュートラム」は運行していた。ニュートラム終点の住之江公園駅に行けば、四つ橋線に乗り換える事ができ、梅田等大阪市内に辿り着く事ができた。その為、ニュートラム、四つ橋線の終電を遅らせる措置を取ったようです。(実際は終夜運行をしていたそうです。)

    また、JR西日本は、万博会場西ゲートからバスが到着するJR桜島駅で、最終列車を遅らせたほか、臨時列車を運行していた。大阪環状線への乗り継ぎができるよう、同線でも終電を遅らせた。また阪急電鉄は14日午前1時に阪急大阪梅田駅から神戸線と宝塚線、京都線でそれぞれ1本、臨時列車を運行したそうです。

    大阪より遠方から来た方や、運行情報を入手できなかった人が留まった事になるのでしょうか?後、滞留者のために入場ゲートを解放したのは良かったと思いますが、どうもその後の対応は現場まかせに感じるんですよねぇ。

    ・電力館が電源タップを提供し、来場者のスマートフォン充電に対応

    ・大阪パビリオンでパンと水が配られる

    ・オランダ館では水やクッキーが配布

    ・ポルトガル館ではダンスなどで場を盛り上げる

    このパビリオンの近くにいた人はこの恩恵に預かれたのでしょうが、それがどれだけの人数であったのか?パビリオンで働いていた方又はそのパビリオンを運営している企業や国の独自の判断ではなかったのではないでしょうか?

    また、36名の方が救急搬送されたそうです。亡くなった方がいなかったのは良かったですが、その状況でも災害との認識はしなかったのでしょうか?

    場当たり的な気がするのですがねぇ。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    判断

    災害対策本部の設置要件は、「災害が発生し、または発生するおそれのある場合」と規定。

    あくまでも交通障害であり災害では無いとの論拠だったのでしょうか?

    万博協会は14日午前1時半ごろから、コスモスクエア駅で接続するニュートラムと、四つ橋線が終夜運行しているとのアナウンスを開始した。おい、おい、ちょっと待て!

    午後10時10分には、コスモスクエア駅までは行けた。ニュートラムに乗れた。

    午前1時半ごろにアナウンスされても、滞留者も動く気無いと思います。

    吉村知事のSNSでは。午前1:06 · 2025年8月14日

    協会総長と話をしました。災害時と同様の対応をとることとし、現在、会場内におられる方に、水や食料等の物資を配布するように致します。大変なご迷惑をおかけしておりますことを心からお詫び申し上げます。

    とあります。万博協会は14日午前1時半ごろから、コスモスクエア駅で接続するニュートラムと、四つ橋線が終夜運行しているとのアナウンスを開始ですから時系列的には、

    協会が災害との認識に変えたのは、午前1時過ぎかと思う。

    ただ、実際水が配られたのは4時頃それも1,000本程度。

    この判断後の3時間何があったのか?

    どうも、最悪の事態を想定するって事ができていなかったのではないか?と思うんですよねぇ…ちょっと人災な面があるか?

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    災害では無いのだが…。

    8月13日午後9時半頃、大阪メトロ中央線電気系統のトラブルにより一時、全線の運転を見合わせた。これが影響して大阪万博では約3万人の帰宅困難者が発生しました。

    何か大きな自然災害が発生したのでは無く、電車が止まっただけです。

    来場者の7割は、この電車で夢洲駅からの来場なので、それが止まればどうなるか?

    「やっぱりこうなるんか?雨降らなきゃ良いんだけど…。」私が想定してる位だから他の人、運営側の方々も対応は考えられていたのでしょうか?

    日本国際博覧会協会は混雑緩和のため、帰宅困難者の一部を会場内に誘導する対応をとったようですが、ニュースを見る限りでは、何か現場まかせな感じがしました。

    各パビリオンでお菓子配ったり、飲料配ったり(運営側この費用負担なんかするのか?このスタッフさん達残業代でるんか?)

    パビリオンで働いていた方の徹夜の対応には頭が下がります。

    中央線全線開通は翌日5時半頃。最終何人がその時間まで居たのか?不明ですが、

    災害備蓄の水の配布が午前4時頃約1,000本?4時だと全線開通前なのに少ない気がしました。災害扱いにするのは、翌日になってからのようです。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    最新の情報

    大阪メトロ中央線は確かに午後9時半頃全線運転を見合わせた。だから帰ろうと夢洲駅に行った人は電車に乗れず立ち往生となり。結果、会場を再度開け会場に引き返す事になった。

    しかし、その後の運行情報は滞留している方に周知されていたのだろうか?

    実際。13日午後10時10分ごろ、大阪・関西万博会場に直結の夢洲駅と、隣接するコスモスクエア駅の間で運転を再開している。運転見合わせから約40分後である。

    で、コスモスクエア駅まで行けば大阪湾岸を迂回して市南部に出る新交通システム「ニュートラム」は運行していた。ニュートラム終点の住之江公園駅に行けば、四つ橋線に乗り換える事ができ、梅田等大阪市内に辿り着く事ができた。その為、ニュートラム、四つ橋線の終電を遅らせる措置を取ったようです。また、JR西日本は、万博会場西ゲートからバスが到着するJR桜島駅で、最終列車を遅らせたほか、臨時列車を運行していた。大阪環状線への乗り継ぎができるよう、同線でも終電を遅らせた。また阪急電鉄は14日午前1時に阪急大阪梅田駅から神戸線と宝塚線、京都線でそれぞれ1本、臨時列車を運行したそうです。

    万博会場の外では、帰宅困難者対策は実施されていたようです。

    この情報は、万博会場滞留者に届いていたのか?中央線全線運転見合わせから情報がストップしていたのではないか?やはり最新の情報を入手する術は重要だと思います。

    人災とは思いたくないんですがねぇ。

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    また雨の話

    昨日も九州等で線状降水帯が発生し、被害が発生しています。

    日本の降水量は増えているって事なのだろうか?

    1995年~2024年の30年間の年間降水量の平均は1638.51㎜

    但し10年ごとに区切ってみると

    1995年~2004年の年間降水量の平均は1596.78㎜(平均との差−41.74㎜)

    2005年~2014年の年間降水量の平均は1603.02㎜(平均との差−35.31㎜)

    2015年~2024年の年間降水量の平均は1715.72㎜(平均との差+77.21㎜)

    増えてはいるが、驚く程では無いきがします。

    気象庁も日本の年降水量には、過去約130年間では変化傾向は確認できないとある。

    (1980年以降の統計では増加傾向が現れている。とも記載があるが)

    年間でこれ位の差は左程大きな変化ではないのかもしれません。

    ん?で、何でここ最近豪雨災害のニュースが多いのか?

    どうも雨の降り方に変化があるようで、

    気象庁によると(1976~1985年)と最近10年間(2015~2024年)

    1時間降水量50mm以上:約1.5倍(約226回→約334回)

    1時間降水量80mm以上:約1.7倍(約14回→約24回)

    1時間降水量100mm以上:約1.8倍(約2.2回→約4.0回)

    一般的な下水管が耐えられる雨量は1時間あたり40ミリから50ミリ程度ですから

    そもそも現在の下水管では対応できないんです。内水氾濫の発生して当たり前と言える。

    ましてや、1時間降水量100mm以上、記録的短時間大雨情報は、1時間に100ミリ前後の数年に一度程度しか起こらないような猛烈な雨が観測された場合に気象台が発表する気象情報のレベル。どうも数年に一度程度では無いようです。梅雨や秋雨ってしとしと雨が降るイメージがありますが、どうもそう言う降り方が少なくなってきているようです。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    雨も資源

    年間降水量は大きな変化が無いのに、その降り方には大きな変化が起きている感じがします。短時間に必要以上に雨が降るって事は、余った雨は最終的には使われずに海に流れるか蒸発するのか?地下に染み込むのか?雨水は農業には必須のものだと思うのですが、今の雨の降り方では有効に活用できず、逆に農作物に被害を与えてしまっている。

    また、年間降水量が変わらず短時間に大雨が降るって事は、逆に雨が降らない日が増えている事になります。これはこれで渇水とか被害がでる。飲み水にも影響でるんです。

    抜本的な解決策なんて思いつきませんが、ただ、アスファルトやコンクリートでは無くもっと地面の保水力高めるとか、今迄「開発」と言う名の元にやってきた事を自然に返す時が来ている気がするのですが、気のせいですかね。

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    日本は狭いけど広い

    日本の国土の面積は約378,000 km2 世界の陸地の割合では、0.25%しかない島国であるが、海を含めると日本の 領海や排他的経済水域と延長大陸棚を含む面積は約465万km2ありなんと世界第6位。 その大きさは 日本の国土の約12倍の広さになる。

    広いんです意外と。で、地震も色々なところで発生しています。

    最近では、トカラ列島?

    トカラ列島の悪石島(あくせきじま)から宝島にかけての領域では、6月21日

    から地震活動が活発になり、東側の領域では、6月21日から地震活動が活発になり、6月26日頃に一度低下したものの、再度活発化した。7月3日16時13分にはマグニチュード(M)5.5の地震(深さ約10 km)が発生し、悪石島で最大震度6弱を観測した。

    西側の領域では、7月2日頃から地震活動が活発になり、7月2日15時26分に

    今回の一連の活動のうち最大規模の地震(M5.6)が発生し、小宝島で最大震度5弱

    を観測した。最近はニュースで見る事ないので少しは落ち着いたのでしょうか?

    しかし、これだけ短期間で地震が起こると流石に生活に支障はきたす。

    避難は当然だと思います。震度6弱の地震が発生しても地震による大きな被害や津波が発生していないようなので、早く収まって元の生活に戻れることをお祈りします。

    日本の南の方で地震が発生したかと思えば、今度は日本では無いですが、カムチャッカ半島で大きな地震がありました。カムチャツカ半島東方の海でマグニチュード(M)8.8の超巨大地震が発生した。ロシア地質当局は、このM8.8の地震がロシア極東地域では1952年以来、73年ぶりに発生した最大規模の地震だったと明らかにした。

    日本で観測された地震は最大で震度2。しかし、津波警報が発令されました。

    海は繋がっているんです。国境線はありません。

    今回は予想された程の津波が来なかった事と、津波が来るまでに時間があったので

    避難する事ができたと思います。

    避難すれば助かる可能性は高まるんです。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    逃げましょう

    人間よりも自然災害の方が賢いのだと思います。人間の方が賢いのであれば想定外なんて起こらないはずです。

    大きな災害が発生したら、「正しく、逃げましょう。」

    自宅が安全なら自宅に籠ることも正解で、あろうし勤務中に遭遇した場合、会社が安全なら無理に帰宅せず会社に逃げましょう。

    そして、避難所に避難する場合を考え、避難所の場所、安全な避難所までのルートを事前に確認しておきましょう。

    生命最優先です。逃げましょう。

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    現実

    先般、参議院選挙がありましたね。

    私も有権者なので選挙に行きました。場所は近所の小学校でした。

    校舎の廊下は、左程暑さを感じなかったのですが、会場の体育館に入った瞬間、

    「暑っ!!!」でした。窓やドアは全て開いていてか?また大型の扇風機が数台ありました。しかし「暑かった。」早々に退散したのですが、「あれ?小学校?もしかして、避難所に指定されれいる?」調べてみると、一時避難所・避難所に指定されていました。

    あの体育館には冷房は無かった。教室は確認してませんので何とも言えませんが

    この暑さの中、あの体育館に避難するのは安全なのか?ライフラインが止まった時、あそこで暑さに耐えれるのか?

    何か、選挙に行って意外な現実をしる事になりました。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    自分で確かめる

    現在、各行政等、ハザードマップや避難所をホームページ問等で公表しています。

    情報の入手は容易になっていますが、やはり自分の目、足で確かめる事は重要かと思う。

    私も今回の選挙がなければ調べる事はなかったと思います。(本当は、耐震や備蓄もしりたかったのですが、どうもその情報には行き当たりませんでした。)もし、避難しなければならなくなったら、何分で辿りつけるのか?そこはどんな場所なのか?知ってるとと知らないとでは大きな違いがあると思います。

    で、後で知ったのですが、私の住んでいる市の小学校の体育館等での冷房設備設置率は0.0%。だそうです…。

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    雨って…。

    昔も、夕立とかありましたが、ここ数年の雨の降り方は、どうも昔とは違う気がします。

    少し調べてみたのですが、気象庁のホームページ見てみました。

    ① 全国の1時間降水量(毎正時における前1時間降水量)50mm以上の大雨の年間発生回   数は増加しています。統計期間1976~2024年で10年あたり28.2回の増加、信頼水準99%で統計的に有意。最近10年間(2015~2024年)の平均年間発生回数(約334回)は、統計期間の最初の10年間(1976~1985年)の平均年間発生回数(約226回)と比べて約1.5倍に増加しています。このレベルはまだ、現状の下水管でギリ対応できるか?それでも増加してるのは確かなようです。

    ②全国の1時間降水量80mm以上の年間発生回数は増加しています。統計期間1976~2024年で10年あたり2.4回の増加、信頼水準99%で統計的に有意最近10年間(2015~2024年)の平均年間発生回数(約24回)は、統計期間の最初の10年間(1976~1985年)の平均年間発生回数(約14回)と比べて約1.7倍に増加しています。このレベルだと、内水氾濫が発生してもおかしくない。これも増えていますね。

    ③全国の1時間降水量100mm以上の年間発生回数には増加傾向が現れています。統計期間1976~2024年で10年あたり0.5回の増加、信頼水準95%で統計的に有意。最近10年間(2015~2024年)の平均年間発生回数(約4.0回)は、統計期間の最初の10年間(1976~1985年)の平均年間発生回数(約2.2回)と比べて約1.8倍に増加しています。これは所謂、記録的短時間大雨情報は、1時間に100ミリ前後の数年に一度程度しか起こらないような猛烈な雨が観測された場合に気象台が発表する気象情報のレベルでしょうか?水害が発生するレベルの降り方の雨が増加してるようです。

    ニュースで良く見るようになったのも頷ける。気象は、地震と違いある程度予想ができますが、ちょっと心配なのが、洪水や 土砂災害 を引き起こす大雨が増加するなかで、特に支流を含む中小河川で、水害リスクの把握が遅れているそうです。 国が進める「洪水 浸水 想定区域図」の作成が、今年3月時点で約6割にとどまっているとか。 本来ある水害リスクが、市区町村の水害 ハザードマップ に反映されず、リスクが見落とされている恐れがあります。普段は、ちょろちょろとしか水が流れていない河川が、突如牙をむく事があり得るんです。そしてそれがハザードマップ自体に記載が無い…。行政が警報や避難勧告だすんでしょうが、想定が無いと判断が遅れなければ良いのですが…。地震は地球にプレートの動きなので人の力が及ば無いものだと思うのですが、雨、気候変動の影響なのでしょうか?そうなるとこれは人が原因になってしまうのでしょうかねぇ?自業自得とは思いたくなにのですがね。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    下水道三重苦

    日本の下水道なのですが、八潮市で起こった様に、何もしていなくても地面に穴が開くくらい老朽化しています。

    そんな老朽化している中、雨の降り方が変わり、短時間で現在の下水道管では処理しきれない水量が発生している。

    そこに、南海トラフ地震、首都直下地震が差し迫っている。

    日本の下水道は三重苦のようです。

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    水害

    私自身が水害にあった記憶は無いのだが、神戸は扇状地と言うこともあり

    過去には水害があった。記録を見てみると、河があふれたり土砂崩れ。

    所謂、外水氾濫だと思います。

    外水氾濫とは、河川や湖沼、海等の外部の水域が、大雨や台風、融雪によって水位が上昇し、堤防を越えたり決壊したりして氾濫する現象のことです。

    外水氾濫が起こると、大量の高速氾濫流が短時間のうちに市街地へ流入し、浸水被害や人的被害が発生します。広範囲に被害がおよぶことも多い他、河川の土砂を含んだ水が流れ込むため、洪水が去ったあとでも復旧活動に時間がかかる傾向にある水害です。

    私が子供の頃に習ったのは、まさにこんな感じの水害でした。

    しかし、最近はそれとは違う水害が多く発生しているようで…。

    昨日、関東甲信を中心に大雨となりました。9都県のべ55か所に「記録的短時間大雨情報」が発表されました。

    記録的短時間大雨情報は、1時間に100ミリ前後の数年に一度程度しか起こらないような猛烈な雨が観測された場合に気象台が発表する気象情報で、大雨警報の発表中に更なる警戒を呼び掛けるものだそうです。

    ニュースで横浜市港北区ではマンホールのふたが飛んで水が噴き出し、周辺の道路が割れたって報道がありました。マンホールの蓋が飛ぶのは何度か見た事がありますが、周辺の道路のアスファルト部分が割れたのを見たのは初めてだったと思います。

    横浜市は下水道管内の流量が急激に増えたことで、空気圧が急上昇する「エアーハンマー現象」が起きたとみている。エアハンマー現象とは、「圧縮された空気がマンホールのふた、下水道管の施設を急激な力で圧縮された空気が破壊する現象」だそうです。

    初めて聞いた言葉です。関東では大雨が降りましたが、河川から水が溢れたような事では無いようで、所謂、内水氾濫になると思います。

    内水氾濫とは、大量の雨に対して排水機能が追い付かずに、処理しきれない雨水で土地や建物が水に浸かってしまう現象のことだそうです。

    こんなの子供の頃、習わなかったですね。

    しかし、既に全国で、線状降水帯(これも子供の頃聞いた事ない言葉です。)等、過去には無かった短時間での大雨が発生しています。河川が近くに無くても水害の可能性はあるんです。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    現状維持では無理かもしれない。

    一般的な下水管が耐えられる雨量は1時間あたり40ミリから50ミリ程度だそうです。

    記録的短時間大雨情報は、1時間に100ミリ前後の雨量の想定ですから下水管が耐えられる2倍ほどの雨量と言うことになります。その水は下水道管外に出るしかない。で、水害になる。下水道管は老朽化も進んでおり、国も大規模地震発生時のライフラインの確保として更新を進めるようですが、もし今迄と同じ太さの下水管なら…内水氾濫は減らないのかなぁ…。

    つづく…

  • 震災備忘録:阪神淡路大震災 

    震災備忘録:阪神淡路大震災

    1995年1月17日以降の日付の無い記憶

    阪神淡路大震災とは

    1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

    兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

    犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

    あれから、もう30年も経過したんですね。

    あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

    7月5日は何も無かったけれども

    何か7月5日に日本で大規模災害が起こるみたいな噂があり海外からの旅行者も減ったって話がありましたが…熱中症はありましたか?

    かと言って今後何も起こらないって話では無い。

    例えば、南海トラフ地震、今後30年以内に80%程度の確率で発生するとされています。

    私、専門家では無いので、こう言う確率ってどう計算しているかわかりません。

    ただ、過去に発生していることは分かっているようなので、それなら素人の私でも調べりゃ分かる。

                 間隔

    684年 白鳳地震

    887年 仁和地震      203年

    1096年 永長地震      209年

    1361年 正平(康安)地震  265年

    1498年 明応地震             137年

    1707年 宝永地震      209年

    1854年 安政地震             147年

    1944 / 1946年 昭和地震      90年

    今年が2025年なので、最後に発生してから79年ってことになる。

    これだけを見ると、直ぐでは無い気がするのですが、自然の事ですから油断は禁物。

    で、少し気になるのが、この中で駿河湾で地震が発生したと言われているのが

               間隔

    1096年 永長地震 

    1498年 明応地震   402年

    1707年 宝永地震   209年   

    1854年 安政地震   147年

    今年で171年…南海トラフ地震といっても、3か所くらいに分けて考えた方が良いかもしれません。

    さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

    国の被害想定

    7月1日政府の中央防災会議が、南海トラフ巨大地震の防災対策推進基本計画を改定しました。最大29万8千人の想定死者数を10年以内に8割減らす等、大幅な減災目標を掲げています。ん?10年以内?って事は、南海トラフ地震は、約10年後くらいか?って思ってしまうのは穿った見方でしょうかねぇ?

    後ね、高い目標掲げているんですが、財政的支援は無いみたい…国はこれで良いんかな?

    つづく…