1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう31年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
熊本地震後の益城町
2016年4月14日午後9時26分の「前震」、そして約28時間後の16日午前1時25分に起きた「本震」です。短時間のうちに震度7の揺れが同一地域で連続して発生したのは、観測史上初めてのことだそうです。
特に被害の大きかった益城町では、町全体に甚大な被害が及びんだそうです。
益城町の主な被害状況(2025年12月時点)
人的被害: 直接死 20人、震災関連死 25人、重傷 135人
住家被害: 全壊 3,026棟、大規模半壊・半壊 3,233棟、一部損壊 4,325棟
最大避難者数: 16,050人(10避難所にて記録)
町内の家屋の98%が被災し、公共施設や道路、水道といったインフラにも深刻なダメージを受けました。この影響は人口にも及び、震災後の一年間で約1,500人もの人々が町を離れる事態となったそうです。
その益城町なのですが、地震から10年後どうなっているかと言うと、26年3月末の人口は34,442人に回復しました。もともと熊本市に隣接するベッドタウンであり、空港、高速道路のインターチェンジがあり、熊本県の「空と陸の玄関口」と呼ばれていたそうです。
益城町はこのリソースを復興に利用できたのでしょう。企業誘致を積極的に行い、地震後に20社以上が町内に拠点を置いたそうです。当然転入者が増え、人口が回復した。
隣の菊陽町には半導体のTSMC熊本工場が出来、大津町には半導体関連拠点エア・ウォーターグループ熊本事業所が開所と、熊本地震から10年、復興は進んでいるようです。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
復興と言ってもそれは一概には言えない
まぁ、と言って復興がうまく行っていない事もある。
24年に能登半島地震が起きた石川県の奥能登地域(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)は26年2月末時点での人口が49,926人と地震前から14%減っている。
能登半島地震はまだ2年しか経過してませんから、10年の熊本単純には比較できませんが、
益城町には、空港、高速道路のインターチェンジと言うリソースが元々あり、企業を誘致できるだけの土地もあったのでしょう。そこは奥能登地方との大きな違いだと思います。
大規模地震後の復興は、どこも同じ事でできるわけでは無いと言えると思います。
奥能登地方には、日本海という豊富な漁場と景色があります。後は、やはり山、人口減少を逆手にとって、不要な家屋等は自然に還す。それが100年後にその景色は大きな財産になると思います。復興は、それぞれの地域の持つリソース、ポテンシャルを元に長期スパンの視線も必要ではないかと思います。
つづく…。

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