震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995年1月17日の話⑤

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう29年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

その後の私

街中は停電中でした。夜ってこんなに暗いのかって改めて実感しました。

瓦礫が散乱していたせいか、車が走っているのを見た記憶がありません。

私は警察署、一番近い東灘警察署に行きました。

警察署の中も停電のせいか、石油ストーブと懐中電灯の明かりで、カウンターの奥の方にぼんやりと人影あるのが分かる感じでした。

私、カウンターの前で、「すみませーん。」奥から懐中電灯を片手に婦警さんが出てきてくれました。「どうしました?」と婦警さん。

私「あのー両親を探しに来たんですけど、行方がわからないんです。」

婦警さん私にメモを差し出しながら「こちらに、名前と住所をお書き下さい。」

私メモに父親の名前と実家の住所を書きました。

婦警さんはメモを受け取り「少しお待ち下さい」と言って、奥へ戻って行きました。

暫くして、婦警さんが戻って来ました。

「現在のところこの住所での亡くなられた人の届けは警察には来ていません。今はそれだけしか分かりません。」と婦警さん。

取り敢えずどっかで生きてはいそうである。内心少しホッとしました。

かと言って、どこに居るのか?

避難所?怪我してたら病院?ん?避難所って何処や?病院?どこ?

皆目見当がつきませんでした。

私、婦警さんに「避難所と救急病院はどこですか?」

婦警さん「避難所は、住吉中学校と住吉小学校です。救急病院は、甲南病院と東神戸病院です。」

私は、婦警さんにお礼を言い、警察署を後にしました。

さて、何所へ向かえば良いのか?

距離的に言って、住吉中学校と甲南病院はまずありえないと思いました。遠いです。

住吉小学校か東神戸病院かどっちかだ?

私は、取り敢えず住吉小学校に向かいました・・・。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

避難所

大きな災害なんて遭遇した事が無かったので、致し方無い面もありますが、

こうなった場合、どこに避難するか?なんて考えたことありませんでした。

その為、とりあえず現地に行けば何とかなるって言う、場当たり的な行動になってしまいました。しかし、日本人は阪神淡路大震災、東日本大震災等大きな災害を経験している以上、

もう「何も知りません」とは言えないと思います。知ってしまったのですから。

大きな災害が発生した場合、何処に避難するのか?平時に確認は必須だと思います。

今では、避難所の開設状況等もネットで検索できるようです。

つづく・・・。

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