震災備忘録

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう31年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

能登半島地震その後

能登半島地震からも既に2年経過している。

総務省消防庁のデータでは、家屋の被害なのですが、全壊:6,537棟、半壊:23,703棟、一部損壊:135,268棟。建物の被害は多くその後の事なのですが、少し前のデータになりますが、仮設住宅建設戸数と入居戸数なのですが、

輪島市は12月19日現在、珠洲市・七尾市は12月23日現在、能登町は12月19日現在、穴水町は12月22日現在、志賀町は12月26日現在。

     入居戸数   建設戸数   入居率

輪島市   2862    3161     90.5%

珠洲市   1613    1740     92.7%

七尾市   575     575     100% (空き待ちあり)

能登町   508     571     89.0%

穴水町  473     532      88.9%

志賀町  332     393      84.5%

まだまだ、仮設住宅に暮らす被災者は多いようです。

私の両親は阪神淡路大震災後4年間仮設暮らしでした。災害復興住宅の抽選に中々当選せず、仮設住宅退去のギリギリだったと思います。能登よりも、建設できる土地があり、且つ建設コスト、人手もあっても4年かかりました。

能登半島地震での住まいに関する意向調査では、「災害公営住宅に入居」が最も多い33.4%。

「自宅の建替え・新築」29.2%だそうです。残りは離れた場所で暮らすのでしょうか?

県内には災害公営住宅が2986戸が整備される予定のようですが、全て今年の6月以降に順次完成見通しで、大半は27年度以降だそうです。そう、その間は現在の仮設住宅に住み続けなければならない被災者がいる事になります。阪神淡路大震災時よりも高齢者が多いと思います。そして、亡くなられた方も、直接死228人に対し災害関連死470人と災害関連死が直接死を上回っています。災害後に亡くなっている方の方が多いんです。

災害後の被災者ケアは今後の課題なのかもしれません。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

作りたくても作れない

能登半島地震後も建設コストの上昇、人手不足で住宅の建て替え、新築が困難な状況だそうです。それに加え、ライフラインの復帰工事もある。行政の災害関連の発注の入札も不調が多いようです。地元の業者さんも既に多くの工事をかかえ、余裕は無いようです。

これが、日本の災害後の現実だと思います。復旧、復興したくてもできない…。

これが、今後発生が予想されている、南海トラフ地震や首都直下地震が発生したらどうなるのか?現状でも、作りたくても作れないんです。

災害の規模が違うなか、果たして復興、復旧はどうなるのか?

う~む、日本字人だけでは無理な気がするのですが、素人の的外れな心配でなければ良いのですがね。つづく…

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