震災備忘録

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。あれから、もう31年も経過したんですね。あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

今では役に立たない記憶

阪神淡路大震災から既に31年。31年前の経験では既に役に立たないものも有ると思う。

例えば、情報通信。当時、携帯電話の普及率は3.5%。それも通話がメインだったかと思う。私は、当然持っていませんでした。2025年のスマホの普及率は90%超えているそうです。インターネットの利用も当時は1%台、現在は90%超えてるようなので、当時と比べると安否確認や被害状況の把握等は当時と比べると雲泥の差と言える。情報収集のスピードは格段に上がっている。その分、早く現地への対応ができる事になるのだが、その判断は人がする事であるのだが、そこはどうなのかは、その時の政府や自治体の首長によるんだろう。それを判断できる情報は持ってないです。

耐震性についても、耐震性を考慮に入れて建築基準法が改正された1981年(昭和56年)以降で1982年頃から建築された物件の被害が少なかったことが報告されている。倒壊した木造家屋の98 %が旧耐震基準で建てられたものであったようです。結果的に、改正された建築基準法の有効性が証明されることになりました。倒壊して死者の出た住宅は1982年(昭和57年)以前の建築物件で、当時の建築基準法により設計されていて耐震性が弱かったともいえる。震災後も1996年(平成8年)・2000年(平成12年)・2006年(平成18年)に建築基準法は改正されているようなので、阪神淡路大震災の時の様な建物倒壊による圧死は少なくなるのかなとは思う。

そう、31年前とは違う事は多いんです。だから全て当時を基準にしていてはダメだと思うんです。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

それでも変わらないモノは有る。

有体に言えば、人が生物である事には変化が無い。つまり、水とトイレの重要性には変化は無いと思う。上下水道が止まれば、水は止まる、トイレも使えなくなる。

建物の耐震化が進んでいるので、自宅避難が多くなる事は想像できる。そのためにも、水とトイレは自助で凌ぐ必要はあると思います。

後、現金。停電すると、例え自分のスマホで決済しようにも、レジが使えないと決済できない。そんな時モノ言うのは現金だと思います。また、小銭があれば、最近台数減っていますが公衆電話使えます。31年前の事でも役に立つ事もあるんです・

つづく…

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