1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう31年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
首都直下地震Ⅵ
新被害想定では、避難所に避難する人は最大で、万410万人、避難所外への避難約72万人計約480万人が自宅以外で生活する事になる。この中には、自宅が無事でも食料等の備蓄が無くなり避難所に来る人も想定されているようです。
それでも、ずっと避難所暮らしには無理がある。仮設なりなんなり避難所以外の住む場所が必要になって来る。東京都のホームページで見つけたのですが、大学研究者の調査結果では、仮設住宅を探す世帯数:1,420,000世帯、賃貸空家利用可能数:423,000戸、仮設住宅建設可能数:76,000戸、で、不足数:920,000戸だそうです。仮の住まい自体が足りないんです。首都圏以外への広域避難しか道は無いのでしょうか?人口が手中している首都圏、被災する人の多さも半端ないことになるようです。ちなみに阪神淡路大震災時の仮設住宅は、兵庫県、大阪府合わせて、48,300戸。内神戸市には29,178戸だったそうです。神戸以外で仮設住宅暮らしをしなければならない被災者はいたのでしょう。首都直下地震の新被害想定では、住宅の耐震化の向上、木密地区の減少で地震亡くなられる方は減ると想定していますが、災害関連死は増加すると想定しているのには避難者数の増加も原因の一つなのかもしれません。私の実家は阪神淡路大震災時で住めなくなり両親は4年程仮設暮らししました。本当はもっと早く仮設から出たかったのですがも移り先が中々見つからず、やっと災害復興住宅入居が決まったのが4年後でした。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
時間
首都直下地震の想定では、研究調査では仮設住宅建設可能数:76,000戸ですが、これは一体何時から入居できるのだろうか?これを建設するためにマンパワーは確保可能なのだろうか?被災するのは住宅だけでは無く、企業や行政も被災する。企業や行政も早期の復旧を目指すため、建設業者等復旧作業を依頼するであろう。全国からかき集めたいとしても、そもそも建設業従事者自体が減っているのある。
建設業就業者数は、1997年(685万人)をピークとして減少が続いており、2024年はピーク時比69.6%の477万人。ピーク時より約3割減少している。また、就業者数の推移を年齢階層でみると、過去20年で29歳以下の若年層が約88万人から約56万人に減少しているのに対して、65歳以上は37万人台から80万人台へと大きく増加している。
そう、建設業にも高齢化の波が来てる。それでも、被災地復旧に従事してもらいたいといってもこの人達被災地のどこで寝泊まりするのだろうか?
そう、920,000戸不足は現在想定されていて、多分それをどうするかは検討されていると思うが、仮設住宅建設可能数:76,000戸これは何時完成するのか?かなり時間がかかりのではないかと、その間、被災者はどこで暮らさなければならないのか?
素人ながら危惧しているんですよね。
つづく…

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