震災備忘録:阪神淡路大震災

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう30年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

雨音は危険な香り

津気象台によると、四日市市では12日午後10時14分までの1時間降水量が123・5ミリで、統計が始まった1966年以降で最多を記録したそうです。

四日市市中心部に大型地下駐車場「くすの木パーキング」と言うのがあり、大量の水が流れ込み、地下2階が水没し、地下1階は約1・2メートル浸水しました。

「くすの木パーキング」。近鉄四日市駅東側の中央通りと国道1号の地下でL字形に広がる。延べ面積は約2万5000m2で、計509台の車を収容可能だそうです。地下2階って事は、ワンフロア約1万㎡くらいか?地下2階の天井の高さは3.5m。

水は地下1階も高さ1.2mまで漬かった。

車の体積は考慮しなければならないが、単純計算。

1万㎡×3.5m=35,000㎥の水の量が地下2階に流れ込んだ。

1㎥は約1tだから35,000tの水の重さ。

何かとんでもない量の雨が、下水等の処理能力を超えて降った事になるのか?

19時09分 大雨警報発表

19時50分 洪水警報発表

21時53分 大雨警報(浸水害)発表

22時00分 記録的短時間大雨情報

22時14分 四日市123.5ミリ/時(津地方気象台発表)

どうも停電で排水ポンプが作動しなかったとか、止水版が故障で動かなかったとか

雨水溜まり放題の地下池状態だったのでしょうか?しかし、あれだけの量の水が何時間で溜まったのか?降った雨は、地面がアスファルトやコンクリートのため、側溝や下水道に流れるか、そこに限界が来れば、低い所に集まる。「水は低きに集まる」のだ。

大雨による災害も最近経験している以上、これも「想定外」とはもう言えないのではないかと思う。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

復旧よりも復興を

「復旧」とは、壊れたり傷んだりしたものを元の状態に戻すことを意味する。

そう、この駐車場も、排水ポンプ修理し、止水版修理しても、今回と同じ量の雨が降れば、被害無とは言えまい。内水氾濫で水は低い所に集まる以上、水の流れは止められないのだ。

街全体としての、排水の雨量、水の保水の雨量を高めないと根本的な解決にならないと思います。

阪神淡路大震災時の神戸港がそうでした。行政は、「復旧」を目指しました。

結果、数年後「復旧」しましたが、その間に他の海外の同規模の港は進化し、数年前の姿に戻った神戸港は見劣りするものとなってしまいました。

そうならないためにも、災害発生後は、復旧よりも復興を考えて欲しい。

「復興」とは、一度衰えたものが再び元の盛んな状態に戻ることを指します。

元の姿に戻すだけでは、「退化」なのです。次の災害に耐えうる「進化」こそが

災害後のテーマだと思うのですがねぇ…。

つづく…

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