震災備忘録:阪神淡路大震災

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう30年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

災害では無いのだが…。

8月13日午後9時半頃、大阪メトロ中央線電気系統のトラブルにより一時、全線の運転を見合わせた。これが影響して大阪万博では約3万人の帰宅困難者が発生しました。

何か大きな自然災害が発生したのでは無く、電車が止まっただけです。

来場者の7割は、この電車で夢洲駅からの来場なので、それが止まればどうなるか?

「やっぱりこうなるんか?雨降らなきゃ良いんだけど…。」私が想定してる位だから他の人、運営側の方々も対応は考えられていたのでしょうか?

日本国際博覧会協会は混雑緩和のため、帰宅困難者の一部を会場内に誘導する対応をとったようですが、ニュースを見る限りでは、何か現場まかせな感じがしました。

各パビリオンでお菓子配ったり、飲料配ったり(運営側この費用負担なんかするのか?このスタッフさん達残業代でるんか?)

パビリオンで働いていた方の徹夜の対応には頭が下がります。

中央線全線開通は翌日5時半頃。最終何人がその時間まで居たのか?不明ですが、

災害備蓄の水の配布が午前4時頃約1,000本?4時だと全線開通前なのに少ない気がしました。災害扱いにするのは、翌日になってからのようです。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

最新の情報

大阪メトロ中央線は確かに午後9時半頃全線運転を見合わせた。だから帰ろうと夢洲駅に行った人は電車に乗れず立ち往生となり。結果、会場を再度開け会場に引き返す事になった。

しかし、その後の運行情報は滞留している方に周知されていたのだろうか?

実際。13日午後10時10分ごろ、大阪・関西万博会場に直結の夢洲駅と、隣接するコスモスクエア駅の間で運転を再開している。運転見合わせから約40分後である。

で、コスモスクエア駅まで行けば大阪湾岸を迂回して市南部に出る新交通システム「ニュートラム」は運行していた。ニュートラム終点の住之江公園駅に行けば、四つ橋線に乗り換える事ができ、梅田等大阪市内に辿り着く事ができた。その為、ニュートラム、四つ橋線の終電を遅らせる措置を取ったようです。また、JR西日本は、万博会場西ゲートからバスが到着するJR桜島駅で、最終列車を遅らせたほか、臨時列車を運行していた。大阪環状線への乗り継ぎができるよう、同線でも終電を遅らせた。また阪急電鉄は14日午前1時に阪急大阪梅田駅から神戸線と宝塚線、京都線でそれぞれ1本、臨時列車を運行したそうです。

万博会場の外では、帰宅困難者対策は実施されていたようです。

この情報は、万博会場滞留者に届いていたのか?中央線全線運転見合わせから情報がストップしていたのではないか?やはり最新の情報を入手する術は重要だと思います。

人災とは思いたくないんですがねぇ。

つづく…

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