震災備忘録:阪神淡路大震災

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう30年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

現実

先般、参議院選挙がありましたね。

私も有権者なので選挙に行きました。場所は近所の小学校でした。

校舎の廊下は、左程暑さを感じなかったのですが、会場の体育館に入った瞬間、

「暑っ!!!」でした。窓やドアは全て開いていてか?また大型の扇風機が数台ありました。しかし「暑かった。」早々に退散したのですが、「あれ?小学校?もしかして、避難所に指定されれいる?」調べてみると、一時避難所・避難所に指定されていました。

あの体育館には冷房は無かった。教室は確認してませんので何とも言えませんが

この暑さの中、あの体育館に避難するのは安全なのか?ライフラインが止まった時、あそこで暑さに耐えれるのか?

何か、選挙に行って意外な現実をしる事になりました。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

自分で確かめる

現在、各行政等、ハザードマップや避難所をホームページ問等で公表しています。

情報の入手は容易になっていますが、やはり自分の目、足で確かめる事は重要かと思う。

私も今回の選挙がなければ調べる事はなかったと思います。(本当は、耐震や備蓄もしりたかったのですが、どうもその情報には行き当たりませんでした。)もし、避難しなければならなくなったら、何分で辿りつけるのか?そこはどんな場所なのか?知ってるとと知らないとでは大きな違いがあると思います。

で、後で知ったのですが、私の住んでいる市の小学校の体育館等での冷房設備設置率は0.0%。だそうです…。

つづく…

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