震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう30年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

避難所

地震で家屋に被害があった場合、避難所に避難、暫くは避難所生活を余儀なくされるのだが、

この避難所がどうも進化しているように思い得ないんですよね。

何時発生するか分からない事に中々コストかけれないのかもしれませんが、こればっかっりは自助だけではどうしようも無い面があると思います。

過去どれくらい避難所が開設されたのか?

少し調べてみると

阪神淡路大震災時被災1週間後で1,138ヵ所。避難所生活者:307,022人。

単純計算307,022人÷1,138ヵ所=269.8人。1避難所に約270名が避難所生活をしていた事になる。

阪神淡路大震災の9年後に発生した中越地震1週間後で527ヵ所。避難所生活者:76,615人。単純計算76,615人÷527ヵ所=234.3人。

東日本大震災(岩手県・宮城県・福島県)1週間後で1,874ヵ所。避難所生活者:368,838人。単純計算368,838人÷1,874ヵ所=196.8人。東日本大震災は津波で亡くなられた方が多いので比較は難しいですがそれでも、1避難所に約200人が避難所生活を強いる事になった。建物の耐震化は進んいるようなので、避難所生活者は減るかもしれませんが、

東日本大震災や今後発生するであろう南海トラフ地震では大きな津波の発生が想定されていますので、そうなると耐震化だけでは、どうにもならないケースは発生すると思います。

私の両親も阪神淡路大震災時、近所の住吉幼稚園で暫く避難所生活してましたが、あの頃よりも確実に高齢化進んでますので、避難所生活が長引きば、避難所生活に耐えられず、災害関連死が増えるのではないかと危惧しています。(私ももうすぐ高齢者入りだし)

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

南海トラフ地震時の避難者

前回、南海トラフ地震の被害想定について書きましたが、どれくらいの避難所が必要になるのか?

想定避難者数:1230万人 1避難所当:200人としてみると。

12,300,000人÷200人=61,500ヵ所!!これだけに避難者収容できる避難所開設できるのだろうか?津波も発生する。行政自体も被災する。そして被害の範囲があまりにも広すぎる。

マンション居住で建物被害少ない人は、自宅避難になるのかと思うが、ライフラインが途絶えると、トイレすらままならなくなる。物資を届けてくれるなんて事も無いと思います。

建物の耐震化ができているのであれば、大きな地震が発生しても大丈夫なように、ヘルメット、水、簡易トイレ、トイレットペーパー、懐中電灯等、ライフラインが途絶えても暫くは自宅避難生活ができる準備が必要だと思います。但し、孤立しないように、連絡手段や避難所の場所は事前に知っておいた方が良いと思います。救援物資は避難所にしか届かないでしょうから。

つづく…。

コメントを残す