1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
情報
現在は、一人1台はスマホを所有し、インターネットに何処にいても繋がる事ができる。
阪神淡路大震災時の30年前は、まだ携帯電話も持っている人は少なく、(私も持っていませんでした。)SNSなんて…ゼンゼン。固定電話が主流だったと思います。
情報は、専らマスコミ、テレビ、ラジオ、新聞等がメインだったと思います。無謀にも私が何の準備も無しに両親の住む神戸に向かった一因は、地震発生時、各地の震度が出たのですが、神戸だけ震度が出ませんでした。「んっ?なんで?どうなっての?」で、暫くしてから
震度7だったか6強だったか。出た瞬快「やばい!!」って思い、頭も中は、両親の無事を早く知りたい、だけだったと思います。電話しましたが、最初は繋がったのですが誰も両親は出ない。その内、輻輳が起こったのか、電話は繋がらなくなりました。
不安が伸し掛かって来る、しかし、確認する術が無い…。情報不足のため、冷静な判断が出来ていなかったのかもしれません。
まぁ、私の父親のように、会えた時に「何しに来たんや?」なんて言われると、私何しに行ったんだろ?って思ってしまいますが…。
当時、政府にも中々情報が上がってこず、テレビの方が情報早かったなんて事読んだ記憶があります。当時は、判断する為の情報が少なく、そのため初動が遅れたのかもしれません。
現地でなんとかするしかない状態だったと思います。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
平時の準備
阪神淡路大震災前なんて、私あんな大きな地震が関西で発生するなんて思ってもみませんでした。地震は関東で起こるものぐらいの認識でした。
しかし、30年前に阪神淡路大震災を経験し、その後も中越地震、東日本大震災時、能登半島地震等大規模な地震を経験しています。そう、もう大きな地震の発生を想定外とは言えないんです。いつ何処で、地震発生してもおかしくないんです。
その為には、平時の準備が重要になります。平時の内に大規模な災害が発生したら何をすべきか?まずは人名が最優先されます。人名とは自分の生命も含まれます。まず、生き残る事を最優先です。そして、家族等の安否の確認。平時の内に家族との安否の確認方法を決めておくのが以外と重要だと思います、で、ないと30年前の私みたいな無謀な行動になってしまいます。地震が発生した後では遅いんです。生命の無事が確認出来て初めて次のフェーズに入れるのだと思います。生命を守る行動、家族の安否を確認する方法。これは平時の内に決めておくべきだと思います。
つづく…。

コメントを残す