1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
火災
最近は大船渡で大規模な森林火災がありましたが。阪神淡路大震災でも火災は発生しました。ただ、森林火災では無く、街中での火災だったと思います。私は実家が東灘区住吉だったのですが、確か1件火災で燃え尽きた家屋を見た記憶があります。
長田の様な火災は発生していませんでした。
少し調べてみると、延焼速度はおおむね20~40m/h程度で、過去の都市大火事例等と比較して極めて遅かったようです。大船渡の様な延焼を拡大するような風速は無かった。
大規模火災へと延焼拡大した火災の多くは、古い木造家屋が密集している地域に発生していたとされる。所謂、「木密」地区であったのかもしれません。道路をふさいだ倒壊家屋や瓦・モルタルの落下も、延焼拡大を助長したものと考えられる。また、一部には飛び火による延焼事例もあった。こうなると消防も中々火災現場に辿り着けなかったのかもしれません。消防署、消防士の方被災してますから初動は遅れたのかもしれません。
神戸市長田区では、ケミカルシューズ産業に関わる可燃物の大量存在も延焼拡大の要因のひとつであったという指摘もあるそうで、確かにここは他の区と大きな違いかもしれません。神戸市の延焼床面積は、817,818㎡、その内長田区が、523,546㎡。約64%が長田区の火災だった。全壊家屋神戸市は、67,421棟、その内長田区が15,521棟。約23%が長田区。
全焼神戸市は、6,965棟、その内長田区が4,759棟。約68が長田区。「木密」地区での建物の倒壊、そこに可燃物が大量にあった。長田区独特の地域特性だったのかもしれません。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
消火活動
大規模地震が発生すれば、当然消防署や消防署員も被災するわけで、初動は遅れる可能性は高い。しかし30年前よりは、情報収集スピードの向上、建物の耐震化で火災の発生自体は少なくなるかもしれません。しかしまだ「木密」地区は存在するわけで、火災が0になる訳では無いと思います。火災発生を知る事は早くなると思います。ただ道路が渋滞する。
これは30年前とあまり変わらないのではないか?また地震で消火栓が使用できないかもしれません。また大きな違いは、高齢者が増加している事だと思います。
火災は初期消火が重要だと思いますが、しかし高齢者に可能なのか?
阪神淡路大震災時、大船渡の火災時の様な風は吹かなかった。それでも長田区では延焼が続いた。避難するだけで、精一杯な気がします。
火災は発生したらどうするのか?初期消火の手順、消防署への連絡、初期消火で消火できなかった場合どうするのか?はやり、この辺の事、一人では無く住民皆で理解しておく必要があるのかと思います。
つづく…。

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