震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう30年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

感染症

阪神淡路大震災当時、1月17日世間的には、インフルエンザの流行している時期のはずなのだが、どうも私にそう言う知識がなかったせいなのか、両親が避難してた避難所や当時新聞等で被災地での感染症に関する記事も見た記憶が無い。

ただ、どうもやはりインフルエンザの感染はあったようで、災害関連死の内数百人は、インフルエンザの感染が要因ではないかと言われています。政府もインフルエンザ流行対策としてワクチンの無償投与が行われていたようです。(知らんかった。)

確かに、避難所は脚の踏み場なく布団が敷かれ、多くの避難者が「密」の状態で暮らしてましたので、感染しない方がおかし状況であったと思う。多分、私は実家の事や高速の倒壊等物質的な被害に目が向いていたのだと思う。当時の私には見えていなかったんです。

しかし、その後09年に季節性では無いインフルエンザ(所謂ブタフル)弱毒性でしたがパンデミックが発生しました。そして、19年には新型コロナウイルスが発生現在に至っている。感染症対策は進んいると思っていたのですが、昨年発生した能登半島地震時の避難所の風景は阪神淡路大震災時に私が見た避難所と左程変化の無いものでした。

「インフルとかコロナ大丈夫なん?」と素人の私でも地震んから生き延びた方が心配になりました。当時の報道等調べてみるとやはり、インフルや新型コロナの避難所での感染、感染予防についての記事がありました。それでなくても、は阪神淡路大震災時より高齢者が増えています。感染が災害関連死の要因になってしまう可能性は高まっていると思います。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

避難所に避難できない?

私はかなり前に「防災士」の資格を得たのですが、その時の講義に避難所の運営についてありました。直ぐに入室させず、講堂等まず区画整理では無いが、通路やエリアを設定それから避難者に避難エリアに。それも高齢者はなるべく寒くない、トイレに近いところにするとか。学んでる時は、「私が阪神淡路大震災時に見た避難所の風景と全然ちゃうやん。」って思いました。しかし、それも考えなおされているのだと思います。感染症対策を考えると、「密」な状況を避けるためには、避難民同士の間隔を開けざろう得ないと思います。

特に、現在のように高齢者が多いと、感染が災害関連死の要因になってしまうんです。

と、どうなるか?避難所の収容人数を減らすしか無いと思います。

建物の耐震化が進んでいるので、阪神淡路大震災時より自宅に留まる方は多いと思いますが、帰宅困難者が多く発生、一時的に避難所に来ても、受け入れられないって事もあるかもしれません。避難所は有るが、避難出来ない人が発生するかもしれません。

つづく…。

コメントを残す