震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう30年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

高齢化

こればっかりは、どうしようも無いことなのかもしれません。

1995年、阪神淡路大震災の年の高齢化率は(65歳以上の人口の比率)は、約15%だったそうです。現在はどうか?2024年の高齢化率は、29.3%…30年で高齢化率は約倍になった事になります。今よりも若い人が多かった事になります。

阪神淡路大震災時の救助活動は、7割弱が家族含む「自助」、3割が隣人等の「共助」。

「公助」である救助隊による救出は数%…に過ぎなかったようです。

そう、阪神淡路大震災時はまだ、救助活動ができる若い人が多かった。

確かに、私も両親から倒壊した建物から近隣の住民で救助した話は聞いた記憶があります。

「自助」と「共助」が機能していた。それでも、多くの方が亡くなったのです。

大規模な地震を経験した事のある人はいなかったのではないでしょうか?

しかし、1945年の空襲を経験した方、実際に戦地に行っていた方がまだ、ギリ動ける年だった。生命の危機を経験し乗り越えた人がまだ当時いたんです。

それが、初めての大規模な地震を経験しても、「自助」「共助」が機能した遠因ではないかと思います。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

高齢化前提の対策

一年前の能登半島地震、能登半島の高齢化率は約50%。二人に一人が高齢者という事になります。且つ、人口が少ない過疎化であった。

また、耐震化率も輪島市で約45%、穴水町で約48%、珠洲市で約51%でした。

国土交通省が2018年に推計した全国の住宅の耐震化率は約87%。全国平均よりも

耐震化率は低かった。阪神淡路大震災時よりも、「自助」「共助」が機能しにくかったのではないかと思います。

少子高齢化が「自助」「共助」に与えるインパクトは大きいと思います。

ただ、残念ながらこの状態が解消される兆しは無い。

唯一、阪神淡路大震災時より新耐震の建物は増えている。

阪神淡路大震災時の死亡の一番の原因は、建物倒壊等による「圧死」でした。

建物倒壊のリスクは低下していると思います。但し、自分が負傷した、また近隣で負傷者がでた等、「自助」「共助」は阪神淡路大震災時のレベルは望めないと思います。

「公助」が来るまで、高齢者がどう生き延びるか?

私も後数年もすれば高齢者の仲間入りです。

自ら生き延びるために思案中の毎日です。

つづく…。

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