1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう30年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
家庭の防災の備え考
ここの所、宮崎県沖で地震が発生し、南海トラフ地震ついての報道がみられます。
その関連になるのか、家庭での防災備蓄が伝えられたりしています。
だいたい「食料」が捉えられているようですが、「食料」が必要になるには、
まずもって大規模地震が発生しても「生き残っている」って前提があります。
どうして、生き残っていられると言えるのか?
確かに、阪神淡路大震災時より大規模地震でも倒壊しない建物は増えていると思います。
しかし、揺れるんです。家具やテレビ、冷蔵庫倒れたり、飛んできたりするんです。
奇跡的に倒壊しなかった私の神戸市東灘区にあった実家。部屋のなか靴脱いで入るの無理でした。食器とかも割れてましたから。そのような部屋の状況からスタートになるとおもうのです。死んでしまったら、食料備蓄してもしれは、他の人のためになってしまうと思うんですよね。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
まずは生命最優先の備え
企業ではオフィスのキャビネット等転倒防止策はとられていると思いますが、
家庭では多分少ないかと思う。地震発生時に直ぐにヘルメット被るなんて事も
困難だとは思うが、家から外に出る時は、何が落下してくるか分からないですし、
一度避難してから自宅に戻った時も何が落下、倒れてくるか分からないです。
私はヘルメットは必要だと思います。後、枕元に防災用スリッパ。素足で玄関まで辿り着くのは至難の業かもしれません。で、トイレと水。
水洗トイレは水道止まると使えません。簡易トイレは必要だと思います。
水、エコノミークラス症候群防ぐにも、もし負傷した時傷口洗うにも水は必要だと思います。
食べれなくても、水分補給できていれば暫くは生き残れると思います。
食料はその後だと思うんですよね。
あっ、アルファ米備蓄している方多いかもしれません。
あれ、基本お湯を入れて食べるのですが、ちょっとした事で水でも食べられます。
つづく…。

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