震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう30年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

行政も被災する。

阪神淡路大震災にしろ能登半島地震にしろ、大きな地震では被害が発生する。

負傷したり家屋が倒壊したり。その中には、行政で働く人も含まれます。

役所で働いている人、警察官、消防士、自衛官等。その方々に直ぐに支援ができるのだろうか?使命感で業務を遂行する方もいると思いますが、平時のようにはいかない。

平時とは違う対応をしなければならず、中々、県、市町村からの指示や住民からの支援要請にはこたえられない。行政で働く人は、決してスーパーマンでは無い。被災者と同じ住民なのである。24時間365日不休で働く事は無理なんです。

災害発生後の72時間は、「黄金の72時間」「72時間の壁」と呼ばれ、人名救助のタイムリミットの目安と言われています。そこで現地の行政だけで万全の体制で人名救助は無理なのです。阪神淡路大震災でも人名救助は、家族を含む「自助」が70%、「共助」が20%、

「公助」は10%。現場では「公助」を待つ余裕はありません。また行政も被災している以上、直ぐに動けないんです。別に行政の方持つ訳では無いですが、大規模災害発生時にはわが身を守る事ができるのは、自分なんです。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

行政を疲れさせるな。

何れ、行政も動きだします。役所の方も、警察官も消防士も自衛隊も。

ただ、彼らも疲れるんです。当然です。人間ですから。

そのためには、彼らを疲れる前に、業務を交代して実施できる要員を被災地外の行政機関から送り込む事が重要ではないかと思います。被災者の方を早く助けたいのであれば、行政で働く方々に、長時間勤務、不休の勤務をさせてはいけないと思います。

行政の仕事を維持するためには、被災地外の行政からのマンパワーは必須だと思います。

行政の機能は維持できてると、被災者の方々が思えればそれが、復旧、復興に繋がる事だrと思います。

つづく…。

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