震災備忘録:能登半島地震

能登半島地震私見

開く迄も、私見です。これが正しいとは思っていませんし、私の情報不足、認識違いはあるかもしれません。ただ、阪神淡路大震災を経験、また企業の防災担当として東日本大震災等経験して来た者として私見をしたためておきたい。

能登半島地震。2024年1月1日16時10分発生。地震の規模はM7.6。輪島市と羽咋郡志賀町で最大震度7を記録。

地震により、土砂崩れや津波が発生。また、火災も発生しました。

阪神淡路大震災と違い、大都市直下では無く、半島と言う3方位が水に面している土地であり、小さな集落が半島に各地に点在し、それぞれの集落で被害が発生したと思います。

行政の規模が小さいため、役場の方も消防や警察の方も被災し、それをカバーする事は中々困難でははかったかと思います。その為には、被災地外から代替えの要員を派遣する必要があります。そうしないと公助が止まってしまいます。被災直後は、自助で有り、共助で取り合えず、生命の危機を脱する事が重要だと思います。避難所の運営位までなら出来るかもしれません。しかし、何れ限界が来る。ライフラインが止まると、水や食料は何れ底をつく。

トイレ等衛生状況も悪化する。やはり、公助が無いと、復興、復旧は無理だと思います。

公助は必要なのです。ただ、今回の能登半島地震では、誰が公助の指揮を執っているのかがどうも私には分からないんです。

阪神淡路大震災時は村山政権でした。この時は、現地に小里議員を担当相として派遣。

また、霞が関からも事務次官クラスを派遣し陣頭指揮を執った。

判断を現場に任せた。現場第一で、行政を動かした。現場で指揮を執るリーダーが存在していました。しかし、能登半島地震では、それが誰なのか?どうも分からないんです。私。

私が気づいて無いだけかもしれませが、地震から1年が経ち、マスコミの情報もどちらかと言うと、復興、復旧の遅れのニュアンスが強いと思います。

実際、地震で亡くなられた方より関連死の方の方が多いのも、何か腑に落ちないです。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

大規模災害時のリーダーシップ

災害発生後の72時間は「黄金の72時間」と呼ばれ、人名救助のタイムリミットと言われています。72時間を過ぎると生存率が大幅に低下すると言われています。

その為には、迅速な人名救助が不可欠であると。

戦いの相手は「時間」なんだと思います。その為には、出来得る限りの戦力を短時間で投入する必要があると思います。他府県からの消防、警察、役人。そして自衛隊。

逐次投入では、「時間」に負けてしまうと思います。

ここで、重要なのは、その判断をする、リーダーの存在だと思います。

空振るかもしれない、世間から批判されるかもしれません。しかし、それは戦う相手ではないのだと思います。戦う相手は「時間」なのだと思います。

大規模災害の公助には、それを判断できるリーダーの存在が不可欠だと思います。

つづく…。

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