震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう29年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

自然災害は地震だけでは無い。

神戸に住んでいて自然災害と言うと、阪神淡路大震災以外経験を思い出せない。

兵庫県には活火山は無い。噴火の危険は無かった。

水害…少し調べてみると

神戸三大水害って言うものがあるそうです。

阪神大水害

昭和13年(1938年)7月3~5日にかけて、台風に刺激された梅雨前線は神戸市に集中豪雨をもたらし、死者616名、被災家屋は約9万戸にも達する大水害が起きました。

川はあふれ、岩や倒れた木が混じった土石流が市街地に流れ込み、周辺は見渡す限りの泥の海となりました。
この災害を契機として六甲山系の砂防事業や表六甲の河川改修事業が国や県により本格的に行われることとなりました。

昭和36年水害

昭和36年(1961年)6月24~27日に発生した集中豪雨により、死者26名、被災家屋は約2万戸に及ぶ水害が起きました。
宅地造成現場や傾斜地での被害が大きく、また山陽電鉄は約半月間不通になるなど、阪神大水害に次ぐ記録的な被害を受けました。
宅地造成等規制法制定のきっかけとなりました。

昭和42年水害

昭和42年(1967年)7月9日、熱帯低気圧となった台風7号が西日本に停滞する梅雨前線を刺激して集中豪雨をもたらし、死者84名、被災家屋は約4万戸に及ぶ水害が起きました。
昭和13年(1938年)の阪神大水害のデータと比べると、1日当たりの雨量や1時間当たりの最高雨量は阪神大水害を上回りましたが、被害は阪神大水害よりかなり小さくてすみました。
これは昭和13年以降の河川改修や砂防・治山事業の効果が現れたためと考えられています。
政令市による河川改修制度の創設(昭和45年(1970年))のきっかけとなりました。

全て昭和の時代です。私が育った頃は、河川の改修が済、水害の記憶は無い。

(小学校の時、社会科の授業で聞いたくらいか?)

台風もあったのだろうが、どうも何か被害を受けた記憶は無い。

ただ、2008年(平成20年)7月28日都賀川増水事故がありました。

突発的な集中豪雨により、10分間に1.34ⅿという急激な水位上昇が生じ、川原で遊んでいた小学生など16名が流され、この内5名が亡くなられました。

神戸市は山と海の距離が短く急峻なため、短時間で増水したようです。

私が住んでいたのは東灘区なので、川と言えば、住吉川です。

水は生活排水も無い綺麗な川ですが、両岸はコンクリートか?

堤防も高くこれが決壊するなんてのは考えにくい。

ただ、川の下をJRの電車が潜るという天井川なんですがね。

新湊川は2度位大雨で水が溢れたようですが。

どうも神戸で川の堤防が決壊し町が床下、床上浸水するイメージは無い。

大きな川は無いのである。崖錐氾濫は想定しにくい。

ここまで書いた事はあくまでも私個人の経験と調べたことだけであり

当然、知れ切れたわけでは無い。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

情報は最新のモノを

過去の災害の経験は、大切であるが、環境が変われば過去とは違う被害を被ることは想定していなければならないと思います。神戸で線状降水帯の発生は無いようですが、今後発生しないとは言えない。発生したらどうなるのか?昨今の雨の降り方みると少し心配になります。子供頃、現在のような雨の降り方無かったと思います。災害の種類は住む場所によっても変わるんです。

自分の住んでいる街の最新のハザードマップは確認しておいた方が良いと思います。

つづく…。

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