震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう29年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

気温

今年の夏も暑かったですね。もうエアコン無では生活できないくらい。

私は、1988年3月末まで神戸の実家に住んでいたのですが、エアコン無かったです。

扇風機しかありませんでした。それでも何とかなっていたわけです。

学校も高校にプール無くて、夏でもグランド走ってましたね。

温暖化の影響でしょうか?で、神戸の気温ちょっと調べてみると。

        最高気温   最低気温

1995年8月  35.7度    21.2度

2024年8月  36.9度    24.7度

確かに暑くなっています。で、何が起こるかというと「熱中症」です。

亡くなられる方もいます。厚生労働省の統計では、熱中症による死亡者数は、1993年以前は年平均67人ですが、1994年以降は年平均663人…増えてます。

私は以前監察医の先生から伺った話なのですが、所謂「異状死」分かりやすい例でい言えば、

道歩いている時に、突然倒れる。心臓発作や脳溢血なんかで。こう言う事例は圧倒的に冬場が多かったそうです。ヒートショックですね。それがある時から夏場の異状死が増加してきたそうです。で、検視の結果、どうも熱中症が死因ではないかと。

その話が公になり、熱中症に対する注意喚起が広がったそうで。

普通に生活してても亡くなるリスクが高まっています。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

避難所は大丈夫なのだろうか?

先般の能登の地震での避難所の様相には阪神淡路大震災時の避難所との既視感を禁じ得ませんでした。30年近く経過しても変化らしい変化は無い。

石川県についても調べてみました。

 最高気温   最低気温

1995年8月  34.3度    17.8度

2024年8月  36.5度    22.3度

8月にはほぼ仮設住宅に入れたと思いますが、もし夏場に大きな地震が発生し

多くの避難民が避難所に来た場合、耐えられるのでしょうか?

地震で助かった生命が避難所で熱中症で亡くなるなんて洒落になりません。

今では、感染症の危険もありますしね。

暑さに対しる対策…何ができるのか?

今後、高齢者が増加していくとどうなるのか?

ライフラインとして電気が復旧すればエアコンも利用できるようになると思いますが、

避難所にエアコンあるのか?そう考えると、自宅籠城(住めれば)の方が良いかもしれません。何か自宅で助かる方法考えたくなります。

つづく…。

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