1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう29年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
がんばろうKOBE
1991年から2006年まで神戸市にプロ野球球団がありました。そう、オリックスブルーウェーブです。本拠地は、グリーンスタジアム神戸(いまは、ほっともっとフィールド神戸)でした。私も何回か観戦に行きました。野球素人の私が見ても、綺麗な球場です。
内野も天然芝の本当にグリーンな球場です。今は、オリックスバファローズになって本拠地は、京セラドーム大阪になってしまいましたが。)で、阪神淡路大震災のあった1995年オリックスブルーウェーブはリーグ優勝しました。この時ユニフォームの袖に「がんばろうKOBE」のワッペンがありました。
残念ながら日本シリーズは、野村スワローズに負けてしまいましたが、そんな事で、「がんばろうKOBE」は挫けませんでした。翌年1996年もリーグ優勝を果たしました。それもイチロー選手のサヨナラ打での優勝!劇的でした。テレビで見てましたけど、泣きましたね。そして日本シリーズも長嶋ジャイアンツを破り、日本一になりました。選手やスタッフ等にも被災した人もいたと思います。そんな事をおくびにも出さず連覇しました。
当時、オリックスブルーウェーブは神戸の希望の星の一つであったと思います。多くの神戸市民に力を与えたと思います。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
希望
阪神淡路大震災で多くの方が亡くなり、街も壊れてしまいました。そんな中で当時のオリックスブルーウェーブは目に見える「希望」であったと思います。辛い時は無理しなくてよいです。ただ、心の片隅でもよいですから希望の光を失わないで欲しいです。そして何時かその希望の光が大きくなり、前に進む力になると思います。希望を失わないで。
「希望のあるところに人生がある。希望は新しい勇気をもたらし、何度でも、強い気持ちにしてくれる。」
アンネ・フランク

神戸港にあるレリーフです。

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