震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう29年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

思い出の欠片

ここまでは、私の当時の経験を主に書いてきましたが、思い出の場所なんかも無くなってしまったわけで…。特に、当時三宮にあった映画館はほぼ全滅になったのではなかったか?

(あくまでも私の記憶なんで、無事だった映画館あったらごめんなさい。)

10館くらいあった様な気がするのですが…。

私が小学生の頃なんて、休み前になると、校門の前で映画の割引券配ってましたね。

東宝チャンピオンまつり…ゴジラです。東映まんがまつり…仮面ライダー?ん?長くつを履いたネコ?三宮の阪急電車の高架下だっと思いますが、東宝と東映が向い合せでありましたね。三劇と三映でしたっけ?割引券片手にゴジラ見に行ってましたね。

あっ阪急のビルの中にも3つ位映画館ありましたかね?放映中でも電車の音が良く聞こえるという…。神戸新聞会館、国際松竹、国際ニッカツ、う~む書いていて懐かしくなります。

映画館としては残っていませんが、三宮センター街にあった三宮東映?確か今本屋さんになっていると思うのですが、ビジネス書のフロアだと思うのですが、細長く、少し階段のあるフロア…「あっ!ここが映画館やったんかな?」初めてその書店に行った時、そんな風に思った記憶があります。私の記憶の中で生き続ける、神戸の街並。忘れない内に書いておきたいと思います。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

復旧と復興

震災当時、県なのか?市なのか?それとも国なのか?復旧を目指していたと思います。

震災前の神戸に戻そうと。果たしてそれが良かったのか?復旧に数年費やしている間に、発展していた都市にどんどん抜かれて行ったのでなかったか?

関東大震災時は「帝都復興院」が設立されました。復旧では無く復興です。

首都と比較するのは難しいかもしれませんが、震災前よりも都市機能が向上した都市のグランドデザインを描けなかったのか?やはり、初めての大震災でそんな余裕はなかったのかもしれませんが、その語の東日本大震災、今年の能登の災害を見ていると、何か復興では無く復旧を目指している気がしてなりません。

つづく…。

56.8.8は、昭和56年8月8日か?三宮東映のゴム印です。

吠えろ鉄拳、あの真田広之さん主演の映画です。

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