震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう29年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

その後の私

どうも、あまり思い出せない事があります。

「トイレ」です。被災地でどうしてたのか?どうも思い出せません。

覚えているのは、いつ頃だったか、JR住吉駅前に仮設トイレが設置されていました。

そこを一度使用した記憶はあります。工事現場とかに設置されているあれです。

まぁ、かなり汚かったです。それを見て、我慢するようになってしまったか?

両親が避難していた住吉幼稚園。ここでもトイレに行った記憶が無い。 ここは、多分、裏庭掘ってトイレにしていた気がするのですが、実際トイレに行っていないので定かでは無い。考えられるのは、当時平日は仕事。休日の一日を被災地の実家の片付けなんかで被災地に行ってましたので、実際に被災地に居たのは半日程度。被災地外でトイレに行っていたのか?う~む、なぜ記憶が無いのか?大事な事なんですがねぇ…。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

水とトイレ

食料よりも、水とトイレの備蓄の方が重要ではないかと思っています。

水、昨今の暑さ、災害無くても水分補給しないと危ないですよね?これで、大規模地震が発生して水道止って水分補給出来ないとなると…水の備蓄は重要だと思います。

食料も大事だと思いますが、1日~2日食べなくても直ぐに死ぬ事は無いと思います。

水分補給はそうはいきませんので。

トイレなのですが、水道が止まると当然トイレも水流せません。無理やり流したとしても排水管が破損していれば後々、修理し治るまでトイレ使えない事になります。

簡易トイレの備蓄は必要だと思います。

一戸建てなら庭に穴掘ってってできるかもしれませんが…マンションならどうか?

トイレの度に階段で降りて、どこかトイレ探す事になります。現実的だろうか?

食事は我慢できても生理現象は我慢できません。トイレに行く回数減らしたいので水分補給へらすと、エコノミークラス症候群のになる可能性があります。

確か、中越地震だったかで話題になったと思います。

それだけ、水とトイレは重要なんです。

つづく…。

この黒い袋の中に折り畳み式の簡易トイレがあります。私の備蓄品です。

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