震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995年1月17日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう29年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

その後の私

少しはうろ覚えではあるが、今回も当時の仕事の事にも触れておきたい。

いつ頃だったか、担当しているスーパーの本部から、神戸市内のある店舗の商品撤去の応援依頼が来ました。ヘルメット持参、飲食提供無しだったと思います。スーパーの店内がどうなっているのか?危険覚悟で行くことにしました。

当然、車では行けませんので、大阪の弁天埠頭から船で行くことになります。

船内は結構人がいました。競合社のセールスもいました。あぁ、この人も行くんやろなぁ、なんて思いながら、船内地べた座りで神戸港に着くのを待ちました。

神戸港に到着、さてここからその店舗までどうやって行くか?仕事でタクシー使うなんて、当時の私の頭にはありませんでした。(下っ端だったんでね)歩きました。

西市民病院の近くも歩きました。あぁ、ここか1フロア潰れた病院…地震の被害の凄まじさを目の当たりにすると、実家の事思い出してしまします。アカン、アカン仕事、仕事。

自分に言い聞かせ、店舗に向かいました。店舗に到着。同じ船に乗っていた競合社のセールスは既に到着してました。私「もう着いてたんや、はやなぁ」相手「タクシー乗ったら直ぐですよ?えっ?歩いたんですか?」私「…」羨ましいかったです。

店舗内に入りました。売り場は2階。階段で上がります。一部壁が崩れ空が見えてましたが

木材で補強されていました。売り場でやる事は、兎に角、散乱した商品をかごに入れ台車まで運ぶでした。作業する人はそこそこいました。あまり大きな店舗では無かったので作業自体はスムーズに進みました。ただ、この集めた商品どうやって下すんやろ?あの階段は無理だと思うし、エレベーター止まってるし…。バイヤーがいたので、「これ、どうするんですか?」と聞くと「壁壊して、クレーンで下すんや」って。作業が終わり、店舗からでて隣の駐車場に行くと、クレーン車が止まってました。どうやって壁壊したかは記憶が無いのですが、壁壊したところからクレーンで台車ごと駐車場に止まっていたトラックに商品下してました。手際良かったと思います。作業は終わり、解散。

また神戸港から(当然、徒歩ですよ)船で大阪に帰りました。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

自助

災害では、住民だけでなく行政の機関も被災します。行政で勤務している人も被災するんです。まずは、自分の生命を自分で守る事が重要だと思います。自分が助かってないと他人を助ける事もできません。敢えて書くと。食料を備蓄しても、亡くなってしまったら何の役にも立ちません。まずは、生命を守る行動をしてください。生命を守る道具を備えてください。

つづく…。

提供:神戸市

コメントを残す