震災備忘録:阪神淡路大震災 

1995117日以降の日付の無い記憶

阪神淡路大震災とは

1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。

兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。

犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。

あれから、もう29年も経過したんですね。

あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。

その後の私

被災した実家から電話帳を探し出し、取り合えず親戚に両親の無事は連絡できた。

さて、次に被災した自宅から何を探し出せば良いのか?

やはり、「思い出」か?。頭に浮かんだのは写真のアルバムでした。

ただそれがあるのは実家の2階のどこか…行けるんかな?

モノが散乱して足の踏み場も無い居間から階段へ。登れそうだ。

2階に辿り着く。階段の前は3畳間。私が子供の頃から使っていたオカムラジュニアデスク…あまり動かずありました。で、六畳間。母親の上に落ちてきたであろう箪笥の上部が部屋の真ん中に鎮座してました。「これか?確かに空やな…。」それを避けながらアルバムを探しました。どこだ?晴れていたので2階は明るかったです。後、屋根の一部か壊れ空が見えてましたね。隅の方から這ながら探していきました。その時、グラッ!!余震が来ました。

焦りました。このまま倒壊するんか?いや、そんなに大きな地震じゃない…どうする?

暫くじっとして全神経集中して変化を感じようとしました。余震はグラッの1回だけのようでした。それでもやはり早くアルバム探し出して出ねば。暫くして漸く、兄と私のアルバムが見つかりました。ここで、初めて気づくのも変なのだが、「両親の幼いころの写真って見たこと無い…。」「ん?あるんか?」アルバムの類なら何か記憶が残っていたと思うのですが、その記憶は無い。う~む?アルバムではない?なら何だろう?写真をどうやって保管する?「箱か?」それもそんなに多きくない箱。探しましたね。そしたらありました。

父・母のそれぞれの写真が入った紙箱が!!多分、父親の若い頃の写真見たの初めてかもしれません。とは言え、そんなに悠長にしてる時間ありません。そそくさとリュックに入れ。

実家から出ました。

結果的には毎週末これを暫く続けたのだが…。でもよくあの実家、倒壊せずにいてくれたもんです。あっ!そう言えば、「危険」って赤い紙貼られてましたけどね。

さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。

応急危険度判定

実家に貼ってあった赤い紙。あれには危険と書いていましたが、

それ以外に緑色:調査済、黄色:要注意と3色あります。

二次災害の発生を防止するために貼られるそうで、赤の場合は、今この建物に入ったら命の危険があるよ!付近を通行している人も気をつけてねっていう判定らしく建物の壊れ具合では無いようです。まぁ、でも私のしてた事は褒められた事では無かったわけで、二次災害起こさなくって良かったと思っています。

提供:神戸市

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