1995年1月17日以降の日付の無い記憶
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう29年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
その後の私
教室に敷き詰めれらた布団の真ん中は踏まないように歩き、両親が座っていいる所につきました。リュックを下ろし、持ってきた水、缶詰を渡しました。私の目的の一つは達成した感じでした。そんな時、父親が言いました。「良く来たな、まぁ取り合えずビール飲むか?」
えぇ、えぇ、えぇ、えぇ、えぇ?ビール??
父親は缶ビール1本持ってました。
いやぁ、いやぁ、いやぁ、いやぁ、いやぁ、アカンやろ…休みに実家帰ってきたんとちゃうんですけど…。
私「そのビールどないしたん?」
父親「家から掘ってきた。」
おいぃ、おいぃ、おいぃ、おいぃ、おいぃ、掘るんなら他にあるやろぉ・・・。
父親「酒は大事や。」
父親はのビールを残し「ちょっと家見てくる。」と言ってその場を去りました。
母親と私の間にポツンとビールが布団の上に鎮座してました。
流石に飲めませんでした。
そんな時、ふと横を見ると、掛布団が盛り上がってました。
誰か、寝てはるんや、大きな声だしたらアカンな、と思いました。
教室で雑魚寝状態、お互いその辺は気を配らななと思いました。
すると、その布団がめくれ上がり、小学校低学年位の男のが起きてきました。
で、そこ子だけだと思ったら、犬がね、白い中型犬が寝てました。
その子が何処かに行きました。暫くして、犬が目を覚ましたんです。
男の子が居ない事に驚いたのか、キョロキョロ周りを見て、あの男の子を探していました。
居ない…。どうすんのかな?と思っていたら、犬と目が合いました。
犬がにじり寄って来ました。撫ぜてあげようかな?思った時。
犬は、私の着てたセーターを咥え、両方の前足で私の胴をガッチリホールドしたまま、
ブルブルと震えだしました。誰も居ないので不安になったのか?
ちょっと驚きましたが、私は、犬の頭を撫ぜ続けました。
噛んだセーター、中々放してくれません。どうしたものか?と考えているところに
あの男の子が戻ってきました。犬は男の方に戻りました。
犬もショック受けてんのかな?と思いましたが、一週間後に避難所に行った時には、あの犬んですがね、私に見向きもしませんでした…。なんでやねん…。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
被災は人間だけでは無い
私は動物を飼った事はないので、大きな地震発生後どうすれば良いのか?は知っていなにのですが、あの犬の事を思い出すと、動物も何らかのショックを受けているように思います。
またあの頃は、人と同じ布団に犬がいましたが、今は困難な気がします。
ペットの生命は飼い主が守らなければなりません。
ペットを含めた緊急時の対応を立てておく必要があると思います。
つづく…。


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