1995年1月18日の話①
阪神淡路大震災とは
1995年1月17日5時46分52秒、阪神淡路大震災が発生しました。
兵庫県の淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、マグニチュード7.3の地震でした。
犠牲者は6,434人にも達し、第二次世界大戦後に発生した自然災害では、東日本大震災が発生するまでは最悪のものであったそうです。
あれから、もう29年も経過したんですね。
あの時の経験と、今となって気付いた事を書き記しておきたい。
その後の私
ガスタンクの爆発は防げたようで、避難は解除になりました。
住吉小学校は避難所だとは言え、知っている人が誰もいない…。
流石にこれは「無いはぁ~どっか別っとこやろこれ」と思ったのです。
私は避難所の小学校に戻るのを止めて実家の方に向かうことにしました。
実家の近くまで来ると初めて知っている人に会う事ができました。
幼馴染のお父さんでした。私「両親探しに来たんやけど、行方分からないんです。」
幼馴染のお父さん「大丈夫、無事や一緒に避難してたんや。もうすぐ下りてくるから。」
両親達もガスタンクの件で山の方に避難していたようでした。
それから数分後、やっと両親に会えました。
母親はかなり疲労しているようでしたが、怪我も無く無事でした。
父親も無事で母親よりは元気そうでした。
ただ、父親の会った第一声が「どないしたんや?何かあったんか?」でした。
イヤ、イヤ、イヤ「何かって…」あまりの普通すぎる反応に、目が点になってしまいました。
私はその後何を何をしゃべったか…覚えていません。
両親や近所の方々は指定避難所ではなく、近所の住吉幼稚園に避難していました。
指定の避難所ではなかったようですが、どうも何かあった時はその幼稚園に避難するってなっていたようです。実家からは歩いて1~2分の場所にあります。
私は卒園児です。確か、私が通園時に木造から鉄筋2階建に立替られましたので、1971年建替えだから旧耐震の建物なのですが大丈夫だったようです。
昨夜その辺りも歩いたのですが全く気付きませんでした。人気は無かったと思います。
私の頭には、避難所=住吉小学校だったので、全くの盲点になっていたのでしょう。
さて、ここまでの話で気付いた事を述べてみたい。
情報のバージョンアップ
私の両親等、実家近隣の住民が避難していた住吉幼稚園なのですが
残念ながら平成31年3月31日に閉園になっていました。
(卒園生としては寂しいのですが)
指定避難所では無かったとは言え、近隣住民にとってこれがあったから助かったと思います。しかし、現在はありません。つまり次に神戸を大きな災害が発生した場合は、
別の避難所を決めていないとダメだと言うことです。
情報のバージョンアップは必須です。
つづく…。

提供:神戸市

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